『真田丸』あれこれ「砲弾」2016-11-22

2016-11-22 當山日出夫

『真田丸』2016年11月20日、第46回「砲弾」
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この回のポイントは二つ。あるいは、三つか。

第一に、イエの意識である。兄・信之は、なんとかして信繁(幸村)を援助しようとする。これは、同じ真田のイエの一員としての、自然の情によるものだろう。だが、それを、妻・稲、それから、出浦がとどめる。その理由は、真田のイエの存続のためである。

稲の場合、徳川への忠義とも理解できないことはないが、これまで信之につれそってきて、真田のイエのひとりとして判断しているように思える。

第二に、豊臣が負けるべくして負けることになったという伏線。指揮命令系統が確立していなければ、戦えるはずはない。最後の決断はだれがくだすのか。参謀の役割は誰なのか。総大将は誰であるのか。はっきりしていない。これでは、いくら軍勢が多くても、負けるはずである。

このあたり、最後のシーンで、打ち込まれた砲弾が、豊臣の側にどのような動きをもたらすのか、次回の見どころといったところか。

それから、さらに、第三としては、やはり、信繁の豊臣への忠誠心であろう。信繁は、秀頼にも、あるいは、茶々にも、特に肩入れするということがない。誰の味方でもないようである。自在に、自分の判断で行動している。そして、時として、欺きもする。

そして、それは、豊臣というイエをまもるため。豊臣というイエへの忠誠心であるとしか、いいようがないだろう。だが、単に、豊臣(これを秀頼と茶々とするならば)の安寧をはかるという意味では、ここで和睦するのが最善の策かもしれないが、そうはなっていない。

この意味では、叔父・信尹の諜略を、あっさりと退けるあたりに象徴されている。豊臣のだれの配下というわけでもなく、そのイエのために戦っているように見える。このときの豊臣のイエは、単に秀頼と茶々だけではなく、大阪城にあつまった総員をふくめてのことになるのか。大阪城にあつまった牢人たちをもふくめて、豊臣のイエが意識されているように思える。

以上の三点が、この回で、見るべきと思ったところである。

豊臣というイエ、真田というイエ、そして、信繁の豊臣のイエに対する忠誠心、さらに秀頼と茶々の判断、これが次回以降、どのように描かれることになるのか、楽しみにしている。