川本三郎『白秋望景』2016-11-27

2016-11-27 當山日出夫

川本三郎.『白秋望景』.新書館.2012
https://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-21105-8/

川本三郎の書いた近代日本文学の評伝としては、『荷風と東京』『林芙美子の昭和』につづくものということになる。「あとがき」によると、『林芙美子の昭和』のつぎに何を書くかとなって、すぐに思い浮かんだのが北原白秋であるという。

著者(川本三郎)は、1944(昭和19)年の生まれとある。私と、ほぼ十年のとしのひらきがある。その私でさえ、北原白秋の作品は、高校生のころに読んだものである。中央公論の「日本の詩歌」が出ていたころのことである。岩波文庫でも『白秋詩抄』『白秋抒情詩抄』があった。川本三郎にしてみれば、北原白秋は、過去の人というよりも、ほぼ同時代の詩人・歌人であるのかとも思って見たりもする。

ところで、北原白秋といえば、思い出すことばがある……「廃市」。

「さながら水に浮いた灰色の柩である。」

福永武彦の『廃市』という小説に掲げられている。そして、このことばは、北原白秋からとってある。「わが生ひたち」『思ひ出』

どちらを先に読んだろうか。北原白秋も、福永武彦も、高校生のころに読んだものであるが……ただ、私の記憶のなかでは、『廃市』(福永武彦)と、北原白秋の柳河を詠んだ詩のイメージが、重なり合って残っている。

北原白秋がいまではもう読まれなくなっている詩人であることは、すでに書いた。

やまもも書斎記 2016年11月26日
北原白秋『白秋詩抄』『白秋抒情詩抄』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/11/26/8260723

にもかかわらず、川本三郎が北原白秋を選んだ理由は何なのだろうか、と思ってみたくなる。ただ、白秋の詩や歌に対する思い入れだけではないだろう。白秋の人生をたどることが、日本の近代の詩歌の歴史をたどることにつながる、その中核的なところに位置する人物である、という洞察があってのことだろうと思う。そして、それは、この本『白秋望景』において、見事に成功しているといってよいだろう。

日本の詩歌における、近代の憂鬱は、萩原朔太郎にはじまる……という通説に対して、川本三郎は、その萌芽を、北原白秋に見いだしている。また、筆一本で生活する道を選んだ白秋の生き方は、近代、特に、明治末から大正・昭和にかけて生きた、様々な文学者の生き方を参照する手がかりになるものでもある。

さらにいえば、特に、白秋の晩年は、現在の価値観からすれば褒められたものではない。時局に便乗して、あるいは、軍部に迎合して(あえて書けばこのようになる)、戦意高揚の作品を残している。しかし、それも、白秋が時代とともに生きたあかしでもあると、むしろ客観的に肯定する立場を、著者はとっている。

次のような箇所が、本書の通奏低音としてあると読む。

「国木田独歩が、ツルゲーネフの白樺林に誘われて、武蔵野の雑木林の美しさを発見したように、白秋はヨーロッパ象徴詩人の作品によって「水の町」を発見し、そしてそこに「廃市」を見る手がかりをつかんだ。そう考えたい。風景論のオギュスタン・ベルクがいうように「われわれが風景を知覚するのは、絵画や詩歌などで教育され、仕込まれた視線」によってなのだから(『日本の風景・西欧の景観』) (p.13)

そして、著者は、白秋の「発見」した風景を、その人生の歩みととともにたどっていく。故郷の柳河にはじまり、東京、三崎、そして、葛飾での生活、そこで何を白秋が「発見」していったのかが、作品とともにつづられる。

すでに書いたように、私は、若いとき(高校生ぐらいのとき)白秋の作品にしたしんでいる。そのような私にとって、この本は、読むのがいとおしい、という感じの本であった。そこに引用されている白秋の作品の多くは、若いときになじんだものばかりである。その引用を、ひとつひとつ確認しながら読んでいくのは、読書の楽しみであった。

この本は、私のような世代にとっては、北原白秋というなつかしい詩人を思い出させてくれるものであり、また、若い人が読めば、これを契機として、白秋を通じて、日本近代の詩歌が、どのような風景・景物・情感を発見していったのか、たどることができよう。

何が文学であるのか、それを新たに発見していくのが、文学者たるものの仕事である。

これは、おすすめの本としておきたい。