桜木紫乃『ラブレス』 ― 2016-12-03
2016-12-03 當山日出夫
桜木紫乃.『ラブレス』(新潮文庫).新潮社.2013 (原著 新潮社.2011)
http://www.shinchosha.co.jp/book/125481/
この著者(桜木紫乃)の『氷平線』については、すでにふれた。
やまもも書斎記 2016年11月28日
桜木紫乃『氷平線』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/11/28/8261786
この本(『ラブレス』)のことについては、すでにいろんな人が書いていると思うので、私なりの読後感を整理して記してみる。三点ある。
第一には、北海道、それも、釧路の街を描いた作品であるということ。桜木紫乃は、北海道を描いている。ただ、そこが舞台であるだけではなく、その土地とそこに住む人びとの生活を描いている。
これは、私にとっては、宮尾登美子における土左・高知のようなものとしてうけとめることになる。『櫂』からはじまって、宮尾登美子の主な作品は読んできたつもりでいる。宮尾登美子は、その生いたちなどを背景にして、土左・高知を描いている。まさに土左・高知を舞台にしなければならない作品になっている。
ただ、その土地を舞台にしたというだけではなく、その土地そのもの、その風土とそこに生きる人びとの生活を描くところに、桜木紫乃の小説の醍醐味がある。
第二には、主人公は百合江。北海道の極貧の開拓村に生まれ、中学を出て奉公にだされる。そこを出て旅芸人の一座にはいる。そして、その後の、流転の人生。そして、それとは対照的に、地元に残った妹の里美。一見、堅実に見える理容師の道をすすむが、その人生もまた、平坦なものではなかった。
基本的には、この二人の女性を軸とした、女性(百合江)の一代記、ということになる。それは、日本の高度経済成長から、バブルの時代、その終焉。地方の疲弊、過疎化、高齢化、といった時代の流れをたどることになる。主人公たちの人生も、そのなかにあった。
この小説は、まさに、昭和・平成の歴史になっている。
だが、百合江・里美の姉妹を中心としながらも、その母親が、なぜ北海道の開拓村に移り住むことになったのか。そして、百合江・里美の娘たちの、これまた穏やかとはいえない人生。
つまり、この小説は、あわせて三世代の近現代の女性の生きた姿を描いた作品となっている。
第三には、この三世代の女性の物語を語る視点の複雑さである。この小説の中心は、百合江の人生を描くところにあるのだが、それを、また別の視点からも見るようにしてある。娘たちの視点である。
この百合江の人生を描写していく視点と、それとは別に、百合江が老いてたおれた後、娘たちがその人生について興味をもち探っていく、そして、自らのアイデンティティーを確認していく。この視点が、百合江の物語の外側に設定されている。
さらに複雑なことには、百合江の娘は、小説家をなりわいとしており、百合江のこと、自分のことを、作品に書く、という設定になっている。だが、その作品の具体的な内容は出てこない。この作品における百合江の物語は、あくまでも独立している。
このように錯綜した視点をつかわけながら、百合江の人生を描きつつ、そして、同時に、その母と娘の、女性三代の物語を語っているところに、この『ラブレス』という作品の、妙味があると、私は読む。
以上の三点が、『ラブレス』を読んでの感想ということになる。
これは『氷平線』でも感じたことだが、桜木紫乃の小説は、まさに現代の問題、地方の問題、高齢化の問題、これらの諸問題を描いている。だからと言って、マスコミに出てくる解説者のように、したり顔で「こたえ」をしめしたりはしていない。そのような課題のなかに生きている人びとの生活を描く。そのことによって、読む人間に、問題をするどくつきつける。
まさに現代の小説家であるといってよいであろう。
桜木紫乃.『ラブレス』(新潮文庫).新潮社.2013 (原著 新潮社.2011)
http://www.shinchosha.co.jp/book/125481/
この著者(桜木紫乃)の『氷平線』については、すでにふれた。
やまもも書斎記 2016年11月28日
桜木紫乃『氷平線』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/11/28/8261786
この本(『ラブレス』)のことについては、すでにいろんな人が書いていると思うので、私なりの読後感を整理して記してみる。三点ある。
第一には、北海道、それも、釧路の街を描いた作品であるということ。桜木紫乃は、北海道を描いている。ただ、そこが舞台であるだけではなく、その土地とそこに住む人びとの生活を描いている。
これは、私にとっては、宮尾登美子における土左・高知のようなものとしてうけとめることになる。『櫂』からはじまって、宮尾登美子の主な作品は読んできたつもりでいる。宮尾登美子は、その生いたちなどを背景にして、土左・高知を描いている。まさに土左・高知を舞台にしなければならない作品になっている。
ただ、その土地を舞台にしたというだけではなく、その土地そのもの、その風土とそこに生きる人びとの生活を描くところに、桜木紫乃の小説の醍醐味がある。
第二には、主人公は百合江。北海道の極貧の開拓村に生まれ、中学を出て奉公にだされる。そこを出て旅芸人の一座にはいる。そして、その後の、流転の人生。そして、それとは対照的に、地元に残った妹の里美。一見、堅実に見える理容師の道をすすむが、その人生もまた、平坦なものではなかった。
基本的には、この二人の女性を軸とした、女性(百合江)の一代記、ということになる。それは、日本の高度経済成長から、バブルの時代、その終焉。地方の疲弊、過疎化、高齢化、といった時代の流れをたどることになる。主人公たちの人生も、そのなかにあった。
この小説は、まさに、昭和・平成の歴史になっている。
だが、百合江・里美の姉妹を中心としながらも、その母親が、なぜ北海道の開拓村に移り住むことになったのか。そして、百合江・里美の娘たちの、これまた穏やかとはいえない人生。
つまり、この小説は、あわせて三世代の近現代の女性の生きた姿を描いた作品となっている。
第三には、この三世代の女性の物語を語る視点の複雑さである。この小説の中心は、百合江の人生を描くところにあるのだが、それを、また別の視点からも見るようにしてある。娘たちの視点である。
この百合江の人生を描写していく視点と、それとは別に、百合江が老いてたおれた後、娘たちがその人生について興味をもち探っていく、そして、自らのアイデンティティーを確認していく。この視点が、百合江の物語の外側に設定されている。
さらに複雑なことには、百合江の娘は、小説家をなりわいとしており、百合江のこと、自分のことを、作品に書く、という設定になっている。だが、その作品の具体的な内容は出てこない。この作品における百合江の物語は、あくまでも独立している。
このように錯綜した視点をつかわけながら、百合江の人生を描きつつ、そして、同時に、その母と娘の、女性三代の物語を語っているところに、この『ラブレス』という作品の、妙味があると、私は読む。
以上の三点が、『ラブレス』を読んでの感想ということになる。
これは『氷平線』でも感じたことだが、桜木紫乃の小説は、まさに現代の問題、地方の問題、高齢化の問題、これらの諸問題を描いている。だからと言って、マスコミに出てくる解説者のように、したり顔で「こたえ」をしめしたりはしていない。そのような課題のなかに生きている人びとの生活を描く。そのことによって、読む人間に、問題をするどくつきつける。
まさに現代の小説家であるといってよいであろう。
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