桜木紫乃『凍原 北海道警釧路方面本部刑事第一課・松崎比呂』2016-12-08

2016-12-08 當山日出夫

桜木紫乃.『凍原 北海道警釧路方面本部刑事第一課・松崎比呂』(小学館文庫).小学館.2012 (原著 小学館.2009 文庫化にあたり改稿)
https://www.shogakukan.co.jp/books/09408732

桜木紫乃の小説を読んでいる。この作品も釧路が舞台である。が、この作品には、釧路の空があまり描かれない。その代わりに描かれるのは、湿原である。(まあ、釧路といえば、湿原というイメージがあるのだが。)

その一部を引用すると、

「車を停めた場所から五十メートルほど歩くと、もうそこは人の背丈よりも高い葦の原になっている。泥炭で膿んだ湿地に下りる。足の下が巨大な生き物の背のように感じられた。やはりここは水に浮いた街なのだ。(中略)思ったより靄が薄かった。空も幾分青みを増しているようだ。風も川緣とはすこし違う。それでもやはり湿原から吹く風には、飲み込んできた生きものたちのにおいが混じっていた。」(p.99)

湿原を舞台とするといっても、やはり桜木紫乃は空の色にこだわるようである。

「比呂はその様子をログハウスごと視界に入れた後、少し灰色の混じった青空を見上げた。海から二十キロ内陸に入っただけで、市内を覆う海霧は空に吸い込まれてしまっている。空が青いというだけで、なにやらこの景色がとても尊いもののように思えてきてた。」(p.204)

この物語は、ミステリーとして描かれているが、それで成功しているかどうかとなると、ちょっと疑問だと思う。謎解きとしては、巧くない。だが、物語としては、一気に読ませるものがある。最後の結末は、それなりに納得できるものになっている。この意味ではさすがである。

まず、十数年前の少年の行方不明事件からはじまる。そして、現在、殺人事件がおこる。また、それとは別に平行して物語られる、終戦時の樺太でのできごと。これらの、さまざまなできごとが、ひとつになってこの作品はできあがっている。そして、そこにあるのは、どんなに理不尽なことがあったとしても生きていかなければならない、その理不尽とむきあって生きている、人びとの生活の姿である。いや、理不尽というよりは、古風な言い方になるが「業」のようなものと言った方がよいかもしれない。

なぜ、その男は殺されねばならなかったのか。なぜ、その男は、自分のルーツを追い求めていたのか。それを追う、刑事・比呂の姿は、決して颯爽とした女性警察官という雰囲気はない。「生活」を背負った姿がそこにはある。

ところで、この作品、上記のように終戦時の樺太のことが書いてある。ソ連が参戦してきて、逃げることになる日本人の姿である。日露戦争の結果、樺太の南部は、日本のものとなった。そこには、多くの日本人がいた。そして、太平洋戦争の敗戦。そこで、どんな悲劇があったか。今、そのことを描くものは少ないのかもしれない。これは、北海道を主な舞台として小説を書いている桜木紫乃ならではの観点かなと思う。樺太で生活していた日本人にとってのソ連参戦からの逃避行ほど、理不尽なことはないだろう。

そして、この作品を読んで、ふと松本清張を思い出した。この作品には、どこか松本清張の作品の雰囲気に通じるものがある。これは決して悪い意味で言っているのではない。松本清張の作品も、社会派ミステリーと言われたりする側面はあるというものの、時代と社会のなかで、そのように生きざるをえなかった人間の宿命のようなものを感じさせる。それに通じるところを、私は感じた。

人間の業を描いた作品として、松本清張などの作品につらなる系譜に位置づけられるかと思う。