『真田丸』あれこれ「前夜」2016-12-13

2016-12-13 當山日出夫

『真田丸』2016年12月11日、第49回「前夜」
http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/story/story49.html#mainContents

いよいよ次回が最終回か。

今回のポイントは二点(あるいは三点)。

第一に、真田の一族、兄弟としての、結束と、それぞれの主君(豊臣・徳川)の忠誠心の相克。このドラマの最終盤のここにきて、再度、真田というイエの一族であることを、それぞれの立場で再確認しているようである。そして、それと同時に、信繁(幸村)の豊臣への忠誠心が描かれる。

その信繁(幸村)の忠誠心は、大蔵卿局からすれは、牢人はきらいだ、といわれても、捨てることのできない、自分のアイデンティティなのであろう。

第二に、興味深かったのは、家康と上杉のシーン。この戦(大阪の陣)に「義」はあるかどうか、問いかけられて、はぐらかしてしまった。これが、これまでの大河ドラマであったならば、平和な世の中を築くためのやむを得ない戦である、というような論理でとおしていたところだろう。それを、今回の『真田丸』では、そのようには描かない。

むしろ、豊臣と徳川の覇権争い、といった側面を描いている。平和な世の中になるかどうかよりも、徳川が日本を支配するために、豊臣が邪魔になるという見方である。このような露骨とでもいうべき、覇者の論理を出してきたのは、新鮮な感じがする。

それから、第三には、最後のシーン。信繁(幸村)ときりの、お互いの気持ちを確かめ合うところ。これを最終回になる最後にもってきたところで、ここまで描いてきた、様々なきりをめぐる場面が、回収されることになっている。これは、巧い脚本だと思う。

次回は、「最終回」。信繁(幸村)をはじめとして、秀頼、茶々など、それぞれが、どのような最期をむかえることになるのか。

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