『真田丸』あれこれ「最終回」2016-12-20

2016-12-20 當山日出夫

『真田丸』2016年12月18日、「最終回」
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やっと最終回になった。

見どころはいくつかあるが、やはり私としては、何故、信繁が戦うのか、そのこころの根底にあるもの……エトス……を、どのように描き出すかということである。この意味で、興味深かったのは、最後の方の、家康との一対一の対決のシーン。

家康は言う……殺すなら殺すがよい。徳川の世は盤石である。もう豊臣の時代ではない。おぬし(信繁)のような、戦のなかにしか生きられない人間の時代は終わった。

それに対して、信繁はこたえる……そのようなことは承知している。しかし、自分にはそのような生き方しかできなかったのであると。それが、自分の生き方なのであると。

ドラマとしては、このシーンがクライマックスということになるのだろう。この観点からは、ある意味で、信繁が、ある種のパトリオティズム(愛郷心)をこころのうちに秘めていたことが、感じ取れる。死んでいった愛するものたちのために戦っていると、言っていた。

天下をとるためでもない、あるいは、豊臣への忠誠心だけからでもない、徳川への対抗心だけでもない……様々な感情が入り交じって、その結果、そのようにしか生きられなかった、戦わざるをえなかった信繁のエトスを、信繁自身のことばで語らせたシーンということになるであろう。

これまでの大河ドラマでよく見られたような、「戦乱の無い平和な世の中をきずくため」など、という論理は出てきていない。このあたりが、『真田丸』が、従来の大河ドラマと違った面白さを与えてくれたポイントかと思う。このいさぎよさがあってこその、真田信繁のエトスである。

だが、そのわりには、実際に徳川がどのような政治をおこなってきたのか、それは、豊臣の治世とどのように仕組みが違うのか、徳川の支配はどのようなものであったのか、こういった、政治制度的な側面が、ドラマでは、ほとんど描かれずにきたのは、ちょっと惜しい気がする。このあたり、豊臣の治世と、徳川の治世の違いを描いていれば、最後の対決シーンは、もっと説得力のあるものになったにちがいない。

それから、強いて気になった点といえば、昔の大阪城の周囲に、番組に出てきたような草原があったのだろうか。まあ、これは、フィクションとして見ていればいいのかもしれないが。

ともあれ、このドラマは、一年間、面白かった。