『細雪』谷崎潤一郎(その一)2017-02-01

2017-02-01 當山日出夫

『細雪』を読んでいる。再読、再々読になるだろうか。

読んでいるのは、文庫本としては一番あたらしい角川文庫版(2016)。谷崎潤一郎は、中公文庫版で読むべきなのかもしれないが、古い中公文庫は字が小さい。老眼にはつらくなってきた。あるいは、新しい『谷崎潤一郎全集』(中央公論新社)で読むべきかもしれない。『細雪』ぐらいは、「全集」版で読んでおきたい気もする。

『細雪』、これは高校の国語の教科書に載っていたのを憶えている。花見の章である。芦屋に住む幸子たちが、京都に花見におとづれる。そのころ、私が住んでいたのは、京都の宇治市。だから、作中に出てくる桜の名所のいくつかは、実際に知っていたりもした。だが、小説に描かれた桜の方が、実際の桜よりも、美しく華麗であったような印象をもって憶えている。

やはり、桜という花は、「文学」というフィルターをとおして、描き出されるところに、その本当の美しさがあるような気がしてならない。『古今集』の昔から蓄積されてきた桜のイメージから、自由になることは難しい。いや、逆に、その中に身をおいてこそ、桜の花を観賞するということになるのかもしれない。

それから、映画。この作品、なんどか映画化されている。見た記憶に残っているのは、市川崑監督の作品。主演(雪子)が、吉永小百合であった。それから、末娘の妙子が、古手川祐子であったかと思う。

この映画の印象が強いせいか、今、『細雪』を再読してみても、映画の吉永小百合の印象が強くのこっていることに気付く。雪子が出てくる場面では、ついつい吉永小百合の姿を思い浮かべてしまう。

ところで、この映画で気になったこととして憶えていること。結局、雪子がとつぐことになる相手は、ある華族の子供である。原作では、庶子(嫡出子ではない)であったはずだが、映画では、次男(あるいは三男であったか)ということになっていた。まあ、原作の書かれた時代では、華族の庶子が相手でもいいようなものだろう。だが、映画(市川崑)の時代に、庶子では通じなかったと考えたのか、あるいは、どこかしら差別的な要素を避ける意図があったのか、このところは、わからない。映画を見ていて、あ、原作と変えているな、と感じて見たのを憶えている。

今読んでいるところは「中巻」のあたり。下巻にならないと、その相手は出てこない。順番に読んでいって、記憶を確認することにしよう。

追記 2017-02-02
この続きは、
やまもも書斎記 2017年2月2日
『細雪』谷崎潤一郎(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/02/8347924

『細雪』谷崎潤一郎(その二)2017-02-02

2017-02-02 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499

『細雪』を、角川文庫版で読んでいる。

http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000005/
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000007/
http://www.kadokawa.co.jp/product/321512000006/

昭和31年(1956)初版。平成28年(2016)改版。文庫本としては、一番新しく出た版ということになる。

谷崎潤一郎は、没後50年がすぎた(2015)。つまり、著作権としては、その保護期間が満了している。角川文庫で新版を刊行ということになったのは、このあたりのこともあるのかもしれないと思ったりしている。

買おうか、どうしようか、迷って、結局、買わずにいるのが、谷崎潤一郎全集(中央公論新社)である。

http://www.chuko.co.jp/special/tanizaki_memorial/zenshu.html

中央公論社創業130周年記念とある。

谷崎潤一郎は、読んでおくべき作家の一人だという認識はもっているのだが、今ひとつ、好みではない、という気がしている。文庫本などで、主な著作は読めるので、それでいいかと思ったりする。

今回、新しく谷崎全集を刊行したということは、その組版データがあるはずだから、中公文庫で、その代表的な作品ぐらい、改版して、新しい本文で刊行してくれないか、と思ったりする。はたして、今の中央公論新社にその気があるかどうか。

ところで、『細雪』である。今、読み返しているのをふくめて、これまで二~三回ほどは読んでいると思う。読み返すたびに、印象深く思い出すのは、京都の花見のシーンである。これが、高校の国語の教科書に載っていたことは、すでに書いた。

花見の場面の他にも印象的な箇所はいくつかあるのだが、それは後でふれるとして、何よりも、憶えているのは、その冒頭と、末尾である。

ある文学作品、小説の、冒頭と末尾をきちんと憶えているというとそう多くはない。まあ、漱石の作品の主なものは憶えている。『猫』、『坊っちゃん』、『草枕』、『三四郎』、『それから』などは、その始まりの場面と、ラストの場面を、憶えている。これらは、あまりにも有名といえば有名である。

そして、『細雪』である。この作品も、その始まりのシーンと、ラストのシーンを憶えている。「こいさん」ではじまって、「下痢」でおわる。

そういえば、誰かが、この小説は、病気と薬ばかりが出てくるという意味のことを書いていたのを読んだことがある。たしかに、読んでいくと、病気と薬の話題がきわめて多い。

ところで、角川文庫版の解説を、内田樹が書いている。それについては、あらためて。

追記 2017-02-03
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月3日
『細雪』谷崎潤一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/03/8348853

『細雪』谷崎潤一郎(その三)2017-02-03

2017-02-03 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月2日
『細雪』谷崎潤一郎(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/02/8347924

角川文庫版の解説を、内田樹が書いていることは、昨日しるしたとおりである。その解説に次のようにある。

「『細雪』は喪失と哀惜の物語である。指の間から美しいものすべてがこぼれてゆくときの、指の感覚を精緻に記述した物語である。だからこそ『細雪』には世界性を獲得するチャンスがあった。」(pp.298-299)

「「存在するもの」は、それを所有している人と所有していない人をはっきりと差別化する。だが、「所有しないもの」は「かつてそれを所有していたが、失った」という人と、「ついに所有することができなかった」人を〈喪失感においては差別しない〉。谷崎潤一郎の世界性はそこにあるのだと私は思う。」(p.300) 〈 〉内、原文傍点

そして、次のようにも記している。

「この耽美的な書物のうちに黒々とした「日本の未来に対する絶望」を感知した検閲官の「文学的感受性」に対して私は一抹の敬意を示してもよい。」(p.296)

この見解に私は、賛同するものである。もはや失ってしまったもののいとおしさに、この『細雪』という作品はつらぬかれているといってもよい。

この喪失感とでもいうべきものは、かなり屈折している。『細雪』は、上中下の三巻からなる。その成立を簡単に整理するならば、次のようになる。

上巻 昭和18年 『中央公論』に連載。途中まで。陸軍省報道部の干渉で中止。昭和19年まで執筆。自費出版。

中巻 戦時中に執筆。昭和20年まで。自費出版をくわだてるが、実現せず。

下巻 昭和22年 『婦人公論』に連載。

最終的には、戦後、昭和21年に上巻、22年に中巻、23年に下巻が刊行。

そして、物語自体の時間の流れは、昭和11年から16年までである。

以上、角川文庫版の作品解説(成瀬正勝)による。

以上のことから、複数の時間の流れが錯綜していることを見てとれる。上巻は、戦争中(太平洋戦争、昭和16年以降)に書かれた。部分的には公刊された。だが、軍部の弾圧で中止。中巻も、戦時中に書かれた。そして、下巻は、戦後になってからの執筆である。上中下の三巻としてまとめられたのは、戦後しばらくして、下巻が書き終わってから。

だが、物語の時間は、太平洋戦争の前、昭和11年から16年まで。作品執筆時(上巻、中巻)より、一段階前の時代である。下巻執筆時からすれば、さらにさかのぼって戦前(太平洋戦争)・戦中(日中戦争)の物語、ということになる。

そして、さらに、この物語のなかに流れる時間は、その物語の時間よりさかのぼって、大正~昭和初期までの、大阪の船場で、蒔岡の家がその栄華をほこっていた時代の感覚が、色濃くながれている。これこそ、もはやすでに決定的に失ってしまったものに他ならない。物語の現在の時間(昭和11~16年)は、蒔岡の家は、没落したかつての上流階級(といってよいであろう、そして、それが今では中流階級)という設定になっている。

つまり、『細雪』にみられる、喪失感の美学とでもいうべきものは、二重三重に屈折したものとして描かれているのである。

上記のようなこと、この『細雪』は何時書かれたか、そして、それは何時のことを描いているか……このところは、この物語を理解する上で、きわめて重要な視点になる。

花見の場面(上巻)を書いた時は、太平洋戦争中であり、その時代より一つまえの時代を描き、そこで、さらにもう一つ前の、大正~昭和初期の時代を見ている。また、蛍狩の場面(下巻)は、さらに戦後になってから書いたものである。

このように見てみるとき、『細雪』の哀惜の対象となっているものは、戦争(日中戦争、太平洋戦争)で、失われてしまった、それより一つ前のことに思いをはせていることが理解される。そして、このようなことを理解したうえで、この『細雪』を読むならば、まさしく、内田樹の解説に書かれているように「失ってしまったもの」の物語として、読むことができる。

内田樹の「新版解説」を読むために、角川文庫版で読むだけの価値はあると思う次第でもある。

追記 2017-02-04
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月4日
『細雪』谷崎潤一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/04/8349848

『細雪』谷崎潤一郎(その四)2017-02-04

2017-02-04 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月3日
『細雪』谷崎潤一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/03/8348853

現在の観点から、『細雪』を通読すると、これが全体でひとつのまとまった物語を形成している。無論、そのように作者(谷崎潤一郎)は書いている。

だが、その上中下の各巻が、異なった成立の事情があることを知ったうえで読むと、微妙にその違いがあることがわかる。その概略については、昨日書いた。

特に、中巻になって、どことなく書きぶりがかわってきているのを感じる。それは、時代の情勢への対応、と言ってよいであろうか。「時局がら」というような表現が、かなり目につくようになってくる。

たとえば、

「第一今日の非常時に不謹慎であると云うべきで」(p.9)

とういうような時代に配慮した表現が、随所に見られる。読みながら気付いた箇所には付箋をつけてみた。

これは、戦争中(太平洋戦争)において、出版できるかどうかわからないような状況のなかにあって、もし刊行できるならば、当局から叱責をうけるようなことがないように、という配慮からだろうと推測される。

ところが、下巻になると、これは、もう戦後になって書かれている。戦後になってから、まだ太平洋戦争(昭和16年から)がはじまるまでの時代を描いたものということになる。ここにいたると、もはや懐古というような、なまやさしいものではない。はっきりと確信犯的に、戦前の時代がどんなであったか、それを、小説として書きとどめておこうという意思が働いていたと考えるべきであろう。もはや軍などに配慮する必要は無い。そのせいか、下巻には、映画のタイトルとか、当時の世相・風俗をあらわすような場面が、いくつか目につくように読める。

たとえば、

「十二月の或る週に、待ち焦がれていた仏蘭西映画「格子なき牢獄」がかかったので、二人はそれを見に行ったが、」(p.109)

など。

このような観点からは、『細雪』で有名な場面、花見と蛍狩は、決定的にその意味がちがってくる。

花見の場面は、上巻にある。太平洋戦争ははじまっている段階において、その前の日中戦争の時期、さらには、さかのぼって大正時代の船場の蒔岡の家の豪奢を、しのんでいるという方向である。

だが、蛍狩の場面は下巻になる。書かれたのは戦後である。もう敗戦で何もかも失ってしまった後、戦争の前の、ある時期の平和な(といってよいだろう)生活のひとこまを描いたもの、ということになる。

以前、この『細雪』を読んだときには、一つの物語として読んだと憶えている。だが、上中下の各巻の成立の背景を知った上で読むならば、戦中から戦後にかけての、谷崎潤一郎という作家の気概とでもいうべきものを、感じ取ることができる。それは、あの戦争中、敗色の濃いなかで、よくぞ書いたものである、ということと同時に、戦後になって、いわゆる戦後民主主義の時代をむかえて、戦前の阪神間での「中流」の生活がどんなであったかを、こと細かに描写していく、その美意識にかける執念のようなものを、感じずにはおられない。

谷崎文学における戦争の意味などについては、近代文学を専攻しているというわけではないので、よくわからない。だが、『細雪』を読むかぎりにおいては、谷崎は、強靱な意志をもって、そのようなこと(戦争があり、そして敗戦をむかえた)から、超然としたところに、独自の美意識の領域を構築していこうとしていたと考えるべきと読むことができる。

このような意味において、『細雪』は、さらに子細によまれるべき作品であると思うのである。

追記 2017-02-05
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月5日
『細雪』谷崎潤一郎(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/05/8350837

『細雪』谷崎潤一郎(その五)2017-02-05

2017-02-05 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月4日
『細雪』谷崎潤一郎(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/04/8349848

この小説は、はたしてハッピーエンドなのであろうか……

ふと、このような疑問をいだく。確かに、雪子の結婚がきまったところで、この小説はおわっている。一般的に考えれば、ハッピーエンドである。だが、谷崎は、それを意図していたのだろうか。

雪子の結婚の相手は、公家華族の庶子である。特にこれといった定職もなく、しかし、遊んでいるというのでもない。建築の仕事をしたりしている。小説の最後の方では、航空機の会社に勤めるようになったとある。

また、そう財産があるという設定でもない。庶子だから、親の家からいくぶんの財産は分けてもらったことがある。だが、それは、使い果たしてしまっている。金儲けが上手というわけでは決してない。雪子と結婚するにあたって、住む家とか、いくぶんの財産をもらうという手はずではあるようである。

しかし、である。これらのことがきまったのは、昭和15年から16年にかけて。結婚がきまって、昭和16年の春に、雪子が鉄道で旅をするシーンで、この小説は終わる。つまり、ヨーロッパでは戦争(第二次大戦)がはじまっている。そして、日本は、日中戦争が泥沼化するなかで、アメリカを相手に戦争になる、その直前の時期である。

昭和16年12月、太平洋戦争がはじまってしまってからのことは、読者の想像にまかされている。そして、この小説が書かれたのは、その中でも下巻が書かれたのは、戦後になってからである。アメリカとの戦争があって、徹底的に負けてしまってから、谷崎潤一郎は、『細雪』の下巻を書いて、完成させている。

確認しておくならば、雪子と華族の庶子との結婚という結末を書いたのは、戦後になって、日本が敗戦をむかえた後のことなのである。

最悪の筋書きを考えるならば……雪子の夫の仕事は無事につづかない。軍需産業(航空機)の会社だから、たぶん、しばらくは景気がいいのかもしれないが、アメリカとの戦争に負けることになれば、明るい未来があるというわけでもなさそうである。また、雪子たちの新居として用意された家は、空襲で焼けてしまったかもしれない。芦屋の幸子たちの家はどうかわからないが、東京の渋谷の鶴子たちの本家は、空襲でやられるにちがいない。

それよりも、華族という制度がなくなってしまうのである。戦後になって、旧華族として格式だけは保ったかもしれないが、その戦後の政治・経済の荒波のなかで、消えていく運命にあることは、まさに、同時代のこととして、戦後にこの小説を完成させた谷崎が、経験したことにちがいない。

大阪の船場の旧家をもととする、芦屋の「中流」の家庭、蒔岡の家。その三女である雪子と、華族の庶子である夫との結婚という最後は、まさに、ほろびゆくもの、戦後になって決定的にほろんでしまったものを、表象していると見るべきではないだろうか。戦後になって、阪神間(芦屋)の「中流」家庭もなくなれば、華族もなくなってしまう。これこそ、まさに、失ってしまって、もはや回復不可能なものであるとしかいいようがない。

先に、『細雪』角川文庫版の解説を見た。書いているのは内田樹。そこには、この小説は、失ってしまったものへの哀惜の念がこめられているとあった。この指摘にまちがいはないと、私は同意するものである。そして、その感覚を確信するのは、作中の随所にちりばめられた描写……その典型が、有名な花見の場面であり、蛍狩の場面である……もさることながら、この小説の結末を経て、雪子のその後のことを、想像してみることによってである。

雪子の結婚がハッピーエンドであるような世の中が、もはやおとづれることはない。それこそが、戦争と敗戦によって、日本が決定的に失ってしまったものである。

『細雪』を、久しぶりに読んでみて、特にその結末……雪子の結婚……を考えてみて、このようなことを思ってみた次第である。

追記 2017-02-06
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月6日
『細雪』谷崎潤一郎(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/06/8351963

『細雪』谷崎潤一郎(その六)2017-02-06

2017-02-06 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月5日
『細雪』谷崎潤一郎(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/05/8350837

さきに角川文庫版の内田樹の解説をひいて、この作品は、失ってしまったものへの哀惜の念の小説であると書いておいた。そのことを、再度、確認する。このように書いてある。

「「存在するもの」は、それを所有している人と所有しない人をはっきりと差別化する。だが、「存在しないもの」は「かつてそれを所有していたが、失った」という人と、「ついに所有することができなかった」という人を〈喪失感においては差別しない〉谷崎潤一郎の世界性はそこにあるのだと私は思う。」 〈 〉内 原文傍点。 (p.300)

このことに私も異論はない。だが、そのうえで、あえて次のように考えてみることも無意味ではないだろう。それは、谷崎は、それを所有していた人の視点にたって、この小説を書いている、ということである。

ここで、私に思い浮かぶのは、石原千秋の次の本である。

石原千秋.『漱石と三人の読者』(講談社現代新書).講談社.2004
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061497436

この本における漱石論への賛否は別にしても、この本でしめされたような考え方……つまり、作者は、どのような読者を想定して、その小説を書いたのか、ということは、考えられるべきである。このことを、谷崎潤一郎『細雪』について考えて見ると、どうであろうか。

第一に思い浮かぶのは、それを所有していた人、である。もはや戦争によって失われてしまった、美的生活……芦屋の「中流」の生活……それを、実体験として知っている人が、まず思い浮かぶ。数少ないであろうが、このような人たちが実際にいたことは確かなことである。でなければ、『細雪』のような小説は成立しない。

第二には、大正時代から古くからの谷崎の読者たち、であろうか。谷崎潤一郎がそれまでに描いた、あるいは、『細雪』で描き出そうとした世界に、なにがしか共感するものをもっている人たちということになる。これも、いくぶんかは、それを所有していた人たちであろう。具体的には、作中で頻繁に登場する歌舞伎座での公演。それに足をはこぶような人たち、といってもよい。あるいは、「六代目(菊五郎)」の舞台を知っているような人ともいえようか。

第三には、最初、この小説が発表された「中央公論」(戦時中)、「女性公論」(戦後)、その読者であるような人たち。このような人たちは、全国にいるであろう。この人たちも、戦争によって、なにがしかの喪失感を感じずにはいられなかった人たちということになる。

石原千秋にならって『細雪』が、どのような読者に向けて書かれたものかを、想像してみると、だいたい以上のようになるかと思っている。この分析が妥当かどうかは別にしても、ある作家、作品が、どのような「読者」を想定して書かれたものであるか、考えてみることは無意味ではない。いや、むしろ、歴史的に、その作品を位置づけようとするならば、積極的にもっと考えられなければならないことでもあろう。

このような視点にたって考えるとき、谷崎潤一郎は、それを所有していた経験をもつ人を、読者のなかに想定していたと考えるのが、妥当であろうと思う。もちろん、それに限定されるのではなく、その外側に、さらに広範な雑誌の読者を考えることになる。だが、そのコアになる部分に、戦前の阪神間(芦屋)の「中流」家庭の経験をもつ人たちを考えていたはずである。

それをふまえたうえで、それを失ってしまったものとして、普遍的な価値観のもとに読める小説に書き上げたのは、いうまでもなく、谷崎潤一郎の小説家としての手腕にほかならない。一般的、普遍的な価値観にまで高めることができたからこそ、『細雪』は、その喪失の経験をもたない読者にも、受け入れられる作品として読まれるのである。

これまで、一週間、『細雪』について、あれこれと考えてみた。この他にも、書くべきことはある。たぶん、この小説は、その阪神間(芦屋)の「中流」家庭についての、〈情報小説〉でもある。それは、漱石の『三四郎』が、東京帝国大学の事情を、「朝日新聞」の読者に知らしめるため、という作品として読めるということの類似においてである。このようなことについても、いろいろ考えることはあるのだが、ひとまず『細雪』については、しばらく休みにしておきたい。次は「全集」版で読んでみてからということになるだろうか。

『おんな城主直虎』あれこれ「亀之丞帰る」2017-02-07

2017-02-07 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年2月5日、第5回「亀之丞帰る」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story05/

前回のは、
やまもも書斎記 2017年1月31日
『おんな城主直虎』あれこれ「女子にこそあれ次郎法師」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/31/8344340

今回もネコがでてきていた。同じネコだろうか。それにしても10年経過した設定なので、ずいぶんと長生きしているネコになる。あるいは、別のネコに変わっているのか。

ともあれ、今回の見どころは、亀が帰ってきたこと。そして、おとわ(次郎法師)との再会のシーンだろう。

井伊谷に帰ってきた場面は、抱き合ったりして感動的な演出であったが、おとわ(次郎法師)との再会の場面は、あっさりとしたものだった。まあ、十年ぶりの再会としては、あんなものかと思うが。それにしても、帰ってきていきなり、還俗して、おとわを妻にすると……これは、急な展開だなあ。

ところで、亀は煩悩であるのか。その煩悩をふりはらうのに、経典の読誦はあまり役にたっていないようだ。

次郎法師が唱えているお経については、

次郎法師が唱えるお経
http://www.nhk.or.jp/naotora/special/pickup06/

亀は信州に隠れていたということだが、その間、井伊の一族とは連絡をとりあっていた様子。このあたりの事情が、もうすこし詳しく描いてあると面白いと思って見ていた。

次回も、ネコがでてくるだろうか。

『雪国』川端康成2017-02-08

2017-02-08 當山日出夫

川端康成.『雪国』(新潮文庫).新潮社.1947(2006改版) (原著 1937)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100101/

ひさしぶりに読みたくなって、読んでみた。これまでに数回は読んでいる。主に若い時の読書だった。今になって読み直してみて気付いた点をいくつか。

第一に、この小説は、戦前の発表の作品だということ。若い時、高校生、大学生のころに読んだ印象では、戦後まもなくぐらいの作品かと思っていた、と記憶する。ちなみに、私は昭和30年のうまれ。今回、新潮文庫版で読み直して、解説や年表を見て、戦前の昭和12年の作品であることを確認した。昭和12年といえば、支那事変の年。日中戦争がいよいよ本格化した時期になる。

その古さというのを感じさせない、時代を感じさせない作品である。冒頭の列車での旅のシーンなどから、ある程度の年代は感じさせるが、特に、いつのことという印象を残すものではない。いや、逆に、時代を超えて、清冽な叙情性を感じさせる作品であるといえよう。

第二に、戦前の作品であるから、作中に出てくる、芸者としての仕事などは、その背景に、年季奉公など、ほとんど人身売買に近いような制度があったろうと推測される。だが、作品中には、そのようなことは表だって書いていない。これは、この作品の発表された当時、当たり前すぎることだから書いていないだけのことなのか、あるいは、意図的に作者(川端康成)が、婉曲に表現しようとしたことなのか。

第三に、『雪国』というタイトルのせいもあるが、冬の場面ばかりが印象に残っている。しかし、読んでみると、季節が夏である場面もかなり出てくる。四季を通じた、温泉場の風情が描かれている。

第四に、読みながら、強く印象にのこって付箋をつけた箇所。

秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると、もう起き直れなかった。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るように自然と滅びゆく、静かな死であったけれども、近づいて見ると脚や触角を顫わせて悶えているのだった。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののように眺められた。(p.128)

このような描写に、「末期の眼」を感じるといえば、月並みな感想になるかなと思う。しかし、叙情性にあふれた『雪国』のなかに、このような冷徹なまなざしで生きものの生死を見ている箇所があることは、ある種のおどろきでもあった。また、むろん、温泉地を舞台にして、小さな生命の生き死にを観察した文章としては、『城の崎にて』(志賀直哉)を連想するのは、当然のことかもしれない。

ざっと以上のようなところが、久々に『雪国』を再読、再々読してみて、気付いた点である。

『雪国』は、雪のある場面ばかりではない。それ以外の季節の描写もあるのだが、やはり、「雪」というイメージがつきまとう。そして、淡いエロティシズムをふくみつつも、透明な叙情性にあふれた作品である。やはり、近代日本文学の代表作というにふさわしい。

だからこそ、若いときに読むことも必要だが、年をとってから再読しても、さらにその魅力を感じる作品となっている。

追記 2017-02-09
やまもも書斎記 この続きは、
『雪国』川端康成(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/09/8355860

『雪国』川端康成(その二)2017-02-09

2017-02-09 當山日出夫

『雪国』ついてについて続ける。

川端康成.『雪国』(新潮文庫).新潮社.1947(2006改版) (原著 1937)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100101/

さらに付け加えるならば、主人公・島村の氏素性である。演劇の評論をしているとは書いてあるが、それで生計をたてているということではないようだ。次のような記述がある。

親譲りの財産で徒食する島村(p.127)

戦前の時代、いわゆる「高等遊民」というべき人びとがいたことは確かだろうが、その中の一人ということになる。島村の家庭では、夫が、休暇に温泉地に行って、その芸者と関係をもつことを、黙認している。

ところで、このブログで、先週は、『細雪』(谷崎潤一郎)をいろいろ眺めてみた。『細雪』は、喪失してしまったものの哀惜を描いた作品であるといえると書いた。芦屋の「中流」の家庭は、ある意味で、高等遊民に通じるものがあるだろう。だが、『雪国』を読んでみても、それが、戦後になって失われてしまったという喪失感のようなものは感じさせない。全編にみなぎる叙情性が全面に打ち出されてきている。その叙情性の故に、いまでも、日本近代文学の代表として読み続けられている作品ということになる。

高等遊民として、文筆に時間をつかい、気がむけば、温泉地に行って、そこの芸者と関係をもつ……このような生活のありかたも、今では、失われてしまったものである。しかし、この『雪国』からは、失われてしまったものについての喪失感はただよってこない。ただ、ひたすら叙情的な作品として読める。

日本文学における叙情性ということを考えるとき、やはり、重要な作品であるというべきであろう。ただ、そのような叙情性を支える、社会的・経済的基盤として、戦前の芸者の制度であり、高等遊民というべき人びとの存在ということも、忘れてはならないだろう。

「雪国」という作品は、叙情性の文学として読むこともよいが、その時代的な世相の背景に目をくばることも必要かと思う。

『海辺の生と死』島尾ミホ2017-02-10

2017-02-10 當山日出夫

島尾ミホ.『海辺の生と死』(中公文庫).中央公論新社.1987(2013改版) (1974 創樹社)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2013/07/205816.html

この文章を書こうと思って、本を検索してみたところ、この作品は映画化されるらしい。が、私としては、

『狂うひとー「死の棘」の妻・島尾ミホー』.梯久美子.新潮社.2016
http://www.shinchosha.co.jp/book/477402/

を読んでみたい。その前に、島尾敏雄の作品、それから、島尾ミホの作品をあらかじめ読んでおきたい、そう思って手にしたものである。

『死の棘』については、すでに書いた。

やまもも書斎記 2017年1月26日
『死の棘』島尾敏雄
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/26/8333549

この『海辺の生と死』である。一読してであるが、なんと、清冽で純朴な叙情性をおびた文章であることよ……そして、島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』と一緒に読むと、まさに、現代日本文学の奇跡とでもいうべき、男女の、夫婦の文学である。

読んで印象にのこる作品は、まず、『洗骨」である。

一度、埋葬した死者の骨をとりだして、洗ってきれいにして、また納める儀式。このこと、知識としては、南方(沖縄など)の風習として知ってはいたが、実際に、文章に詳しく書かれたのを読むのは、初めてである。

しかし、死者儀礼にまつわるような不気味さというようなものはまったくない。また、単なる民俗の記録という文章でもない。いってみれば、清らかな印象のある文章である。

この作品に代表されるような、南方(奄美大島)の生活、習俗、風習、生活といったものが、細やかで清潔感あふれる文章でつづられている。その一部始終が、少女の視点によりそって、叙情的に細やかな感性でつづられている。

それから、忘れてはならないのは、「その夜」という作品。これは、夫・島尾敏雄の書いた「出発は遂に訪れず」のことを、女性(後に結婚することになる)の立場から、描いている。

どちらを先に読んでもいいようなものかもしれないが、ともかく、両方の文章を読んでみることは、非常に興味がある。

この短編集『海辺の生と死』は、島尾ミホという希有な文学者の残した作品であると同時に、島尾敏雄の文学を理解するうえで、常に参照されるべきものである。

しかし、そんな講釈は抜きにして、この本はいいと思う。

今回の新しい中公文庫版には、吉本隆明の文章もおさめられている。「聖と俗ー焼くや藻塩のー」という、吉本隆明の南方文化論である。それから、解説を書いているのは、梯久美子。

『出発は遂に訪れず』も読んだが、この感想などはまた改めて。『狂うひと』は、買ってある。これから読むことにしよう。