『細雪』谷崎潤一郎(その四)2017-02-04

2017-02-04 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年2月3日
『細雪』谷崎潤一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/03/8348853

現在の観点から、『細雪』を通読すると、これが全体でひとつのまとまった物語を形成している。無論、そのように作者(谷崎潤一郎)は書いている。

だが、その上中下の各巻が、異なった成立の事情があることを知ったうえで読むと、微妙にその違いがあることがわかる。その概略については、昨日書いた。

特に、中巻になって、どことなく書きぶりがかわってきているのを感じる。それは、時代の情勢への対応、と言ってよいであろうか。「時局がら」というような表現が、かなり目につくようになってくる。

たとえば、

「第一今日の非常時に不謹慎であると云うべきで」(p.9)

とういうような時代に配慮した表現が、随所に見られる。読みながら気付いた箇所には付箋をつけてみた。

これは、戦争中(太平洋戦争)において、出版できるかどうかわからないような状況のなかにあって、もし刊行できるならば、当局から叱責をうけるようなことがないように、という配慮からだろうと推測される。

ところが、下巻になると、これは、もう戦後になって書かれている。戦後になってから、まだ太平洋戦争(昭和16年から)がはじまるまでの時代を描いたものということになる。ここにいたると、もはや懐古というような、なまやさしいものではない。はっきりと確信犯的に、戦前の時代がどんなであったか、それを、小説として書きとどめておこうという意思が働いていたと考えるべきであろう。もはや軍などに配慮する必要は無い。そのせいか、下巻には、映画のタイトルとか、当時の世相・風俗をあらわすような場面が、いくつか目につくように読める。

たとえば、

「十二月の或る週に、待ち焦がれていた仏蘭西映画「格子なき牢獄」がかかったので、二人はそれを見に行ったが、」(p.109)

など。

このような観点からは、『細雪』で有名な場面、花見と蛍狩は、決定的にその意味がちがってくる。

花見の場面は、上巻にある。太平洋戦争ははじまっている段階において、その前の日中戦争の時期、さらには、さかのぼって大正時代の船場の蒔岡の家の豪奢を、しのんでいるという方向である。

だが、蛍狩の場面は下巻になる。書かれたのは戦後である。もう敗戦で何もかも失ってしまった後、戦争の前の、ある時期の平和な(といってよいだろう)生活のひとこまを描いたもの、ということになる。

以前、この『細雪』を読んだときには、一つの物語として読んだと憶えている。だが、上中下の各巻の成立の背景を知った上で読むならば、戦中から戦後にかけての、谷崎潤一郎という作家の気概とでもいうべきものを、感じ取ることができる。それは、あの戦争中、敗色の濃いなかで、よくぞ書いたものである、ということと同時に、戦後になって、いわゆる戦後民主主義の時代をむかえて、戦前の阪神間での「中流」の生活がどんなであったかを、こと細かに描写していく、その美意識にかける執念のようなものを、感じずにはおられない。

谷崎文学における戦争の意味などについては、近代文学を専攻しているというわけではないので、よくわからない。だが、『細雪』を読むかぎりにおいては、谷崎は、強靱な意志をもって、そのようなこと(戦争があり、そして敗戦をむかえた)から、超然としたところに、独自の美意識の領域を構築していこうとしていたと考えるべきと読むことができる。

このような意味において、『細雪』は、さらに子細によまれるべき作品であると思うのである。

追記 2017-02-05
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年2月5日
『細雪』谷崎潤一郎(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/05/8350837

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