『雪国』川端康成2017-02-08

2017-02-08 當山日出夫

川端康成.『雪国』(新潮文庫).新潮社.1947(2006改版) (原著 1937)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100101/

ひさしぶりに読みたくなって、読んでみた。これまでに数回は読んでいる。主に若い時の読書だった。今になって読み直してみて気付いた点をいくつか。

第一に、この小説は、戦前の発表の作品だということ。若い時、高校生、大学生のころに読んだ印象では、戦後まもなくぐらいの作品かと思っていた、と記憶する。ちなみに、私は昭和30年のうまれ。今回、新潮文庫版で読み直して、解説や年表を見て、戦前の昭和12年の作品であることを確認した。昭和12年といえば、支那事変の年。日中戦争がいよいよ本格化した時期になる。

その古さというのを感じさせない、時代を感じさせない作品である。冒頭の列車での旅のシーンなどから、ある程度の年代は感じさせるが、特に、いつのことという印象を残すものではない。いや、逆に、時代を超えて、清冽な叙情性を感じさせる作品であるといえよう。

第二に、戦前の作品であるから、作中に出てくる、芸者としての仕事などは、その背景に、年季奉公など、ほとんど人身売買に近いような制度があったろうと推測される。だが、作品中には、そのようなことは表だって書いていない。これは、この作品の発表された当時、当たり前すぎることだから書いていないだけのことなのか、あるいは、意図的に作者(川端康成)が、婉曲に表現しようとしたことなのか。

第三に、『雪国』というタイトルのせいもあるが、冬の場面ばかりが印象に残っている。しかし、読んでみると、季節が夏である場面もかなり出てくる。四季を通じた、温泉場の風情が描かれている。

第四に、読みながら、強く印象にのこって付箋をつけた箇所。

秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると、もう起き直れなかった。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るように自然と滅びゆく、静かな死であったけれども、近づいて見ると脚や触角を顫わせて悶えているのだった。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののように眺められた。(p.128)

このような描写に、「末期の眼」を感じるといえば、月並みな感想になるかなと思う。しかし、叙情性にあふれた『雪国』のなかに、このような冷徹なまなざしで生きものの生死を見ている箇所があることは、ある種のおどろきでもあった。また、むろん、温泉地を舞台にして、小さな生命の生き死にを観察した文章としては、『城の崎にて』(志賀直哉)を連想するのは、当然のことかもしれない。

ざっと以上のようなところが、久々に『雪国』を再読、再々読してみて、気付いた点である。

『雪国』は、雪のある場面ばかりではない。それ以外の季節の描写もあるのだが、やはり、「雪」というイメージがつきまとう。そして、淡いエロティシズムをふくみつつも、透明な叙情性にあふれた作品である。やはり、近代日本文学の代表作というにふさわしい。

だからこそ、若いときに読むことも必要だが、年をとってから再読しても、さらにその魅力を感じる作品となっている。

追記 2017-02-09
やまもも書斎記 この続きは、
『雪国』川端康成(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/09/8355860

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