『雪国』川端康成(その二)2017-02-09

2017-02-09 當山日出夫

『雪国』ついてについて続ける。

川端康成.『雪国』(新潮文庫).新潮社.1947(2006改版) (原著 1937)
http://www.shinchosha.co.jp/book/100101/

さらに付け加えるならば、主人公・島村の氏素性である。演劇の評論をしているとは書いてあるが、それで生計をたてているということではないようだ。次のような記述がある。

親譲りの財産で徒食する島村(p.127)

戦前の時代、いわゆる「高等遊民」というべき人びとがいたことは確かだろうが、その中の一人ということになる。島村の家庭では、夫が、休暇に温泉地に行って、その芸者と関係をもつことを、黙認している。

ところで、このブログで、先週は、『細雪』(谷崎潤一郎)をいろいろ眺めてみた。『細雪』は、喪失してしまったものの哀惜を描いた作品であるといえると書いた。芦屋の「中流」の家庭は、ある意味で、高等遊民に通じるものがあるだろう。だが、『雪国』を読んでみても、それが、戦後になって失われてしまったという喪失感のようなものは感じさせない。全編にみなぎる叙情性が全面に打ち出されてきている。その叙情性の故に、いまでも、日本近代文学の代表として読み続けられている作品ということになる。

高等遊民として、文筆に時間をつかい、気がむけば、温泉地に行って、そこの芸者と関係をもつ……このような生活のありかたも、今では、失われてしまったものである。しかし、この『雪国』からは、失われてしまったものについての喪失感はただよってこない。ただ、ひたすら叙情的な作品として読める。

日本文学における叙情性ということを考えるとき、やはり、重要な作品であるというべきであろう。ただ、そのような叙情性を支える、社会的・経済的基盤として、戦前の芸者の制度であり、高等遊民というべき人びとの存在ということも、忘れてはならないだろう。

「雪国」という作品は、叙情性の文学として読むこともよいが、その時代的な世相の背景に目をくばることも必要かと思う。

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