『魚雷艇学生』島尾敏雄2017-02-12

2017-02-12 當山日出夫

島尾敏雄.『魚雷艇学生』(新潮文庫).新潮社.1989 (新潮社.1985)
http://www.shinchosha.co.jp/book/116404/

この本、新潮社のHPには掲載になっているが、オンラインの書店のHPなどを見ると、もう売っていないようだ。島尾敏雄の作品が、ここにきて再評価されるかもしれない。この本も、重版にならないだろうかと思うが。

震洋……太平洋戦争における、特攻のひとつである。この作品は、震洋(魚雷艇)の部隊の指揮官となって、ついに出撃することなく終戦をむかえた、筆者の自伝的な、あるいは、私小説的な作品である。

この小説は、筆者が、予備学生として海軍にはいるところからはじまる。そして、いくつかの訓練を経て、奄美大島に赴任するまでを描いている。このつづき、最終的に、出撃することなく終戦を迎えることになる経緯、その後のことなどは、『出発は遂に訪れず』に書かれることになる。さらには、『死の棘』につづくことになる。

この本を読んで、私のなかに去来したものはといえば、同じく、太平洋戦争末期に特攻として出撃し、奇跡的に生還した、吉田満の一連の作品である。吉田満も、学生を経て、海軍にはいっている。学生であるから、同じく、士官としてである。

ここで、単純に、吉田満と比較することはさしひかえておきたいと思う。特攻というのは、どう考えても、人間としての極限状態である。それは、そう簡単に比較考量することのできる体験ではないだろう。

文庫本で200ページ弱の作品である。しかし、そこに描かれている事実は重い。だが、なんと淡々とした筆致であることか、とも感じる。

筆者は、海軍にはいって、最初は、魚雷艇の乗組員としての訓練をうける。これは、いかに危険といえども、生還の余地はある。それが、途中から、特攻に切り替わることになる。爆弾を搭載したモーターボート、震洋、である。これに、筆者は、「志願」することになる。

戦記の類いを呼んで、特攻は基本的に「志願」という名のもとに行われていたことは、あったろう。しかし、実際は、強要に近かったとしても、である。

その「志願」にいたる過程が、実にあっさりと書いてある。おそらくは、いろんな煩悶、苦悩はあったろうが、そんな様子は筆者は描かない。これは、筆者だけのことではなく、周囲のおなじ特攻隊員についても、同様である。きわめて淡々とした描写である。

読みながら付箋をつけた箇所。

「震洋、回天、伏竜など特攻兵器の訓練場所にも当てられたために」(p.80)

実にあっさりと書いてある。「震洋、回天、伏竜」どれも、太平洋戦争の末期になって登場した、特攻兵器の名である。非人間的のきわみといってもよい。だが、筆者は、特攻ということに、特に言及することはない。ただ、そのような兵器があり、そのための人員として選ばれ、そして、そのための訓練をうける、その日常をつづっている。

特攻隊員であることについて、筆者はどう思っていたのか、表だった意見めいたものは描かれていない。描かれているのは、その訓練の日常である。それが、現在の視点からみれば、どんなに非人間的なものであるとしても、その残酷さを告発するような視点を、作者はとっていない。

死が日常にある……それを、静謐な文章でつづる。

これほど、非人間的で、残酷ともいうべき日々のできごとを、平明な視点で書き綴ってあるこの作品は、逆に、その静謐さゆえに、特攻という極限状況におかれた人間のあり方を、我々の前にしめしていてくれる。

それは、静謐、平明でありながら、全体にわたっている張りつめた緊張感のある文章によって、である。人間の極限状況を、このように平明につづるということは、おそらく、きわめて強靱な精神力があってのことである。

この作品を読んで感じるのは、落ち着いた筆致の背景にある、並々ならぬ筆者の精神力でなければならない。

しいて蛇足を付け加えるならば、文学、小説、なかでも私小説という形式の文章を書くということが、筆者をささえているのだとも感じ取れる。おそらく、私小説というようなジャンルがなければ、筆者は、この作品を書き得なかったにちがいないだろう。