『兵士に聞け 最終章』杉山隆男(その二) ― 2017-02-24
2017-02-24 當山日出夫
杉山隆男.『兵士に聞け 最終章』.新潮社.2017
http://www.shinchosha.co.jp/book/406207/
この本を読んで印象に残ったことをいくつか。昨日のつづきである。
やまもも書斎記 2017年2月23日
『兵士に聞け 最終章』杉山隆男
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/23/8372568
二点ほど、思ったことを書いてみたい。
第一に、徴兵制である。
この本の第三章「オンタケの頂き」では、2014年の御嶽山の噴火災害救助の様子が語られる。ここで、著者は、長野県の第13普通科連隊が、その任務にあたったことを記す。この部隊は、山岳地域での活動に特化した訓練をうけている。
自衛隊は、各地にあるが、それぞれの地方にあった特殊な訓練をおこなっている。たとえば、八甲田山では、第5普通科連隊が、今でも冬季の雪中訓練をおこなっている。雪のなかでの行動については、エキスパートであるといってよい。
日本の軍備、安全保障、憲法などについて議論されるとき、必ず出てくるのが徴兵制のことである。本書の記述をふまえて考えるならば、理念として徴兵制を論じるのはいいだろう。例えば、井上達夫のようにである。
だが、これも、現実的な、自衛隊の訓練の場に即して、そこで「兵士」が何を行っているのかをみれば、そう簡単にいえるものではない。昔の軍隊でいえば歩兵である普通科であっても、その訓練は、その地方の状況に即して、過酷とでもいうべきものである。簡単に、若者をつれてきて訓練すればよいという程度のものではない。
徴兵制を理念として語るのはそれでいいのかもしれないが、現実に、自衛隊の「兵士」たちが、どのような訓練をうけ、どのような任務にあたっているのか、現場に即して考えてみれば、そう軽々と言えるようなことではないことがわかる。実際に自衛隊員がどのような日常の訓練、任務をになっているか、その実際を見た上での議論でなければならない。
第二に、尖閣諸島の問題である。
本書のテーマからはちょっとはずれる。しかし、本書の第一、二章が、沖縄、尖閣での、対中国の活動を描いていることをふまえれば、やはり考えて見なければならないだろう。
アメリカの大統領が、トランプに替わった。国防長官が日本にやってきている。そのとき、明言したこととして、尖閣諸島も、日米安保の対象であるということがあった。この件は、ニュースなどでもおおきく報じられていた。
対中国、という意味では、これを大きく報道することに意味があると思う。
しかし、日本の立場として、尖閣諸島が我が国固有の領土であるとするならば、その防衛は、まず、我が国の問題である。個別的自衛権で、我が国において対処すべき事であるのが基本だろう。
では、それに対応できるだけの装備、準備があるのか、ということが、問題になる。このことに、本書は、直接に答えることはしていない。しかし、本書を読んだ延長には、この問題があることは確かなことである。はたして、日本だけで、中国の侵略に対応できるのであろうか。
ここは、中国の海洋進出といった一般論で論ずるのではなく、具体的に、日本の自衛隊で、尖閣諸島を守れるのか、現実的な議論が必要だろう。その議論をする立場に、日本はある。このことを否応なく認識させられるのが、本書の読後感でもある。
以上の二点が、本書を読んで、思ったことである。
なお、さらに書いておくならば、この「兵士シリーズ」がはじまってから、自衛隊への取材が非常にきびしくなっていると、筆者は記している。シリーズがはじまったころは、かなり自由にできた隊員へのインタビューも、本書を書くときになると、きわめて厳しい制約のもとにおこなわざるをえなくなっているとある。
これは、何故なのだろう。一般の印象としては、自衛隊は、以前よりも、現在の方が、広報活動には力をいれているように見える。だが、それは、表面だけのこと。実際の自衛隊の活動、任務にかかわることになると、突然、堅くなる。それだけ、現在の日本において、自衛隊の置かれている立場が変化したということになる。
「兵士シリーズ」がはじまったころは、東西冷戦がおわったとはいえ、まだ、基本的にその枠組みのなかにあった時代であった。それが大きくかわるのは、2001年のアメリカの同時多発テロ以降の国際情勢、それから、アメリカ、ロシア、EUなどの動向がある。それをふまえて、自衛隊の海外活動の本格化もある。
このような情勢のなかにあって、自衛隊は、より開かれた存在でなければならないと思われるのだが、実際に取材にあたった著者の感じるとことは、その反対のようである。
日本において、自衛隊がどのような存在であるか、それを理念的に考えることも必要だろう。例えば、憲法論議。しかし、その一方で、現実に存在する自衛隊が、何をしているのか、どのような組織であるのか、そして、それは、国民に対してどのようであるのか……このような観点からも、常に検証されなければならない。この意味では、この20年以上にわたってつづいてきた「兵士シリーズ」は貴重な記録になっていると思うのである。
杉山隆男.『兵士に聞け 最終章』.新潮社.2017
http://www.shinchosha.co.jp/book/406207/
この本を読んで印象に残ったことをいくつか。昨日のつづきである。
やまもも書斎記 2017年2月23日
『兵士に聞け 最終章』杉山隆男
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/23/8372568
二点ほど、思ったことを書いてみたい。
第一に、徴兵制である。
この本の第三章「オンタケの頂き」では、2014年の御嶽山の噴火災害救助の様子が語られる。ここで、著者は、長野県の第13普通科連隊が、その任務にあたったことを記す。この部隊は、山岳地域での活動に特化した訓練をうけている。
自衛隊は、各地にあるが、それぞれの地方にあった特殊な訓練をおこなっている。たとえば、八甲田山では、第5普通科連隊が、今でも冬季の雪中訓練をおこなっている。雪のなかでの行動については、エキスパートであるといってよい。
日本の軍備、安全保障、憲法などについて議論されるとき、必ず出てくるのが徴兵制のことである。本書の記述をふまえて考えるならば、理念として徴兵制を論じるのはいいだろう。例えば、井上達夫のようにである。
だが、これも、現実的な、自衛隊の訓練の場に即して、そこで「兵士」が何を行っているのかをみれば、そう簡単にいえるものではない。昔の軍隊でいえば歩兵である普通科であっても、その訓練は、その地方の状況に即して、過酷とでもいうべきものである。簡単に、若者をつれてきて訓練すればよいという程度のものではない。
徴兵制を理念として語るのはそれでいいのかもしれないが、現実に、自衛隊の「兵士」たちが、どのような訓練をうけ、どのような任務にあたっているのか、現場に即して考えてみれば、そう軽々と言えるようなことではないことがわかる。実際に自衛隊員がどのような日常の訓練、任務をになっているか、その実際を見た上での議論でなければならない。
第二に、尖閣諸島の問題である。
本書のテーマからはちょっとはずれる。しかし、本書の第一、二章が、沖縄、尖閣での、対中国の活動を描いていることをふまえれば、やはり考えて見なければならないだろう。
アメリカの大統領が、トランプに替わった。国防長官が日本にやってきている。そのとき、明言したこととして、尖閣諸島も、日米安保の対象であるということがあった。この件は、ニュースなどでもおおきく報じられていた。
対中国、という意味では、これを大きく報道することに意味があると思う。
しかし、日本の立場として、尖閣諸島が我が国固有の領土であるとするならば、その防衛は、まず、我が国の問題である。個別的自衛権で、我が国において対処すべき事であるのが基本だろう。
では、それに対応できるだけの装備、準備があるのか、ということが、問題になる。このことに、本書は、直接に答えることはしていない。しかし、本書を読んだ延長には、この問題があることは確かなことである。はたして、日本だけで、中国の侵略に対応できるのであろうか。
ここは、中国の海洋進出といった一般論で論ずるのではなく、具体的に、日本の自衛隊で、尖閣諸島を守れるのか、現実的な議論が必要だろう。その議論をする立場に、日本はある。このことを否応なく認識させられるのが、本書の読後感でもある。
以上の二点が、本書を読んで、思ったことである。
なお、さらに書いておくならば、この「兵士シリーズ」がはじまってから、自衛隊への取材が非常にきびしくなっていると、筆者は記している。シリーズがはじまったころは、かなり自由にできた隊員へのインタビューも、本書を書くときになると、きわめて厳しい制約のもとにおこなわざるをえなくなっているとある。
これは、何故なのだろう。一般の印象としては、自衛隊は、以前よりも、現在の方が、広報活動には力をいれているように見える。だが、それは、表面だけのこと。実際の自衛隊の活動、任務にかかわることになると、突然、堅くなる。それだけ、現在の日本において、自衛隊の置かれている立場が変化したということになる。
「兵士シリーズ」がはじまったころは、東西冷戦がおわったとはいえ、まだ、基本的にその枠組みのなかにあった時代であった。それが大きくかわるのは、2001年のアメリカの同時多発テロ以降の国際情勢、それから、アメリカ、ロシア、EUなどの動向がある。それをふまえて、自衛隊の海外活動の本格化もある。
このような情勢のなかにあって、自衛隊は、より開かれた存在でなければならないと思われるのだが、実際に取材にあたった著者の感じるとことは、その反対のようである。
日本において、自衛隊がどのような存在であるか、それを理念的に考えることも必要だろう。例えば、憲法論議。しかし、その一方で、現実に存在する自衛隊が、何をしているのか、どのような組織であるのか、そして、それは、国民に対してどのようであるのか……このような観点からも、常に検証されなければならない。この意味では、この20年以上にわたってつづいてきた「兵士シリーズ」は貴重な記録になっていると思うのである。
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