『廃墟に乞う』佐々木譲2017-03-02

2017-03-02 當山日出夫

佐々木譲.『廃墟に乞う』(文春文庫).文藝春秋.2012 (文藝春秋.2009)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167796037

本を読む生活をしたいと思って、直木賞・芥川賞などの作品を、ボチボチと読んでいこうかと思っている。この『廃墟に乞う』は、第142回の直木賞。といって、佐々木譲を読むのは、はじめてではない。古くから読んできている。

『ベルリン飛行指令』(新潮文庫)
http://www.shinchosha.co.jp/book/122311/

『エトロフ発緊急電」(新潮文庫)
http://www.shinchosha.co.jp/book/122312/

『ストックホルムの密使』(新潮文庫)
http://www.shinchosha.co.jp/book/122315/
http://www.shinchosha.co.jp/book/122316/

など、出たときに読んでいる。今から思えば、まだ、パソコン通信の時代であった。読んだ感想など、書いていたことを思い出す。(ここには、現在の文庫本をしめしておいたが、読むのは、最初に出た単行本の時に読んでいる。)

それから、いうまでもなく、『警官の血』も読んだ。
『警官の血』(新潮文庫)
http://www.shinchosha.co.jp/book/122322/
http://www.shinchosha.co.jp/book/122323/

だが、この『廃墟に乞う』は、読みそびれていた。文庫本で読めるようになっているので、買って読んでみた。

解説を書いているのは、佳多山大地。解説を読んでみて、これは、確かに、ミステリとしての観点からの解説だなと感じた。この解説に異論はない。犯罪小説、それを、捜査する探偵(警官)の描写、この観点からは、そのとおりである。

だが、私の感じたことを記せば、この『廃墟に乞う』は、ハードボイルドである。そのように読むのがいいと思う。無論、警察小説、警官小説としても読めるのであるが。

主人公は、仙道孝司。この作品、連作短編は、基本的に、この仙道孝司の「私」の視点から描かれる。一応、三人称視点の記述にはなっているが。そして、この人物設定としては、警察官であるが、精神的な病気のために休職中。心療内科医のすすめで、休暇を取っている。つまり、操作のノウハウは知っている、警察の事情にも詳しい、しかし、公的に事件にかかわれるわけではない、という立場。

だが、そのような立場にある主人公が、いやおうなしに、事件にまきこまれていく。あるいは、警察の側でも、同僚、先輩、後輩としての彼ならではの捜査に期待するところがあって、行動していく。この捜査の過程は、必ずしも、警察とうまくことを運ぶというのではない。時として、邪魔者あつかいされたりもする。だが、それにもかかわらず、「依頼者」のために彼は行動する。

これは、明らかに、ハードボイルドの設定である。また、そのように読めるように書いてある。しかし、著者としては、警察小説を描きたかったのか、という気もしないではない。だが、これは、読者の自由な読み方として、ハードボイルドとして、読んで楽しめばいいのだと思う。

それから、この小説(連作短編)は、北海道を舞台にしている。現代の北海道である。かつての、炭坑、漁業でさかえたころの姿はない。むしろ、そのような景気のよかった過去をひきずりながら、なんとか生きながらえている地方の光景として描かれる。

北海道を描いている作家としては、桜木紫乃が思い浮かぶが、彼女が描いているほどに、その地方色はつよくない。空の色、海の色が印象的であるということはない。むしろ、荒涼とした原野の風景といった方がよいか。これもまた、現在の北海道の景色の表現なのであろう。

『廃墟に乞う』、この作品は、北海道を舞台にした、ハードボイルド、休職中の警察官が主人公である、として、私は読んで楽しんだのである。

蛇足で書けば……ハードボイルドには、ピアノのがよくにあうのである。