『挽歌』原田康子2017-03-04

2017-03-04 當山日出夫

原田康子.『挽歌』(新潮文庫).新潮社.1961(2013改版) (昭和31年.東都書房)
http://www.shinchosha.co.jp/book/111401/

解説によると、この小説は、北海道、釧路の「北海文学」という同人誌でガリ版ででていたもの。それが、昭和31年に、東都書房から刊行され、ベストセラーになった。新潮文庫で、今も売っている本である。あるいは、原田康子の小説のなかで、この作品だけは、今でも売られている本である、といってもよかもしれない。この『挽歌』をのぞいて、他の作品は、すでに書店の市場から姿を消しているようだ。

この小説は、過去、二~三回は読んでいるはず。古い新潮文庫版である。新しい版になって、活字が大きくなったので、再度、読み直してみた。

桜木紫乃の小説、それも、特に釧路を舞台にした小説など、最近、気にいって読んでいる。そのような私にとって、釧路を舞台にした文学としてまず思い浮かぶのは、この『挽歌』である。最初に読んだのは、高校生のころだったろうか。映画も見ている。秋吉久美子主演のもの。釧路の街をかろやかな足取りで歩いている姿を、印象的に憶えている。

この小説の書かれたころの北海道、釧路は明るい。そして、未来のある街であった。いや、まだ日本全体に、これから高度経済成長を迎える予感のようなものがあった時代。ようやく戦後の終わりが見えてきた時代、といってもよいであろうか。

「この街は終戦当時六万だった人口が、十年間に倍の十二万に膨れあがり、なお人が増えつづけている街である。」(p.40)

そして、その空の描写も明るい。

「陽は長くなり、朱をふくんだ紫陽花色の夕空が、街のうえにひろがっていた。」
(p.205)

この釧路の街は、明るく、モダンで、現代的な街として描かれている。この点では、桜木紫乃の小説(過疎と高齢化)とは、まさに対照的である。

さらにいうならば、登場人物も若い。主人公の兵藤怜子は、女学校を終えてしばらくたったが、定職にはつかず、劇団の仕事をしているという設定。

この小説のテーマは、若さの残酷さ、とでもいえばよいであろうか。そして、その残酷さのとともにある、あやうさ、はかなさ。

「わたしは、わたし達の気心の合うのがなによりも愉しかった。しかしわたしばかりでなく、座員の多くは、演劇そのものよりもお芝居をしようとする人達の雰囲気を愛しているようだった。」(p.42)

「しかしみみずく座で一緒に仕事をするようになってからのわたしは、彼の描く絵よりも、絵を描いているときとか、絵のことを考えているときの久田幹夫に魅かれるようになった。」(p.47)

このような女性……いや、少女といった方がよいかもしれない……が、ふとしたことから恋をする。相手は妻子ある男性。その男性に心ひかれるようになったきっかけは、その妻の不倫を知ったからである。

このような恋(といってよいだろうか)が、ハッピーエンドになるはずはない。悲劇的な破局をよびよせることになる。だが、それでも、彼女は、さらに生きていこうとする。若さという残酷さである。

かつて、私自身が若い時にこの小説を読んだときには、当然ながら、ヒロインの兵藤怜子によりそって読んだと憶えている。だが、もはや、その相手の男性よりも年をとってしまい、いや、さらには、ヒロインの父親よりも上かもしれないという年齢になって読んでみて、それでもなお、このヒロイン怜子は、魅力的であると感じる。わかさ、おさなさ、あるいは、あやうさ、というようなものを感じながらも、それでも、魅力的な人物造形の確かさに、こころひかれるものがある。これが、おそららくは、今でも、この『挽歌』という小説が読み継がれていることの要因なのであろうと思う。

ともあれ、戦後の日本文学史に残る作品として、この『挽歌』は、これからも読まれていくことだろうと思う。