『豊饒の海』第一巻『春の雪』三島由紀夫2017-03-19

2017-03-19 當山日出夫

三島由紀夫.『春の雪ー豊饒の海 第一巻ー』(新潮文庫).新潮社.1977(2002.改版) (新潮社.1969)
http://www.shinchosha.co.jp/book/105021/

やまもも書斎記 2017年3月9日
『豊饒の海』三島由紀夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/09/8397497

『豊饒の海』四巻を、ようやく読み終わった。40年ぶりの再読である。書誌を書いてみて、私が学生のころ、この本を読んだのは、文庫版が出てまもなくのときだったと気付いた。単行本ではなく、文庫本で読んだのを憶えている。

学生のときに読んで、正直いって、これで三島由紀夫はもういい、と思った。食傷したという印象をもったのを憶えている。それほど、濃厚な読後感のある作品であった。

今では、この作品、『豊饒の海』が三島の絶筆となった作品であることを知っている。最後の『天人五衰』の原稿を残して、三島は市ヶ谷にむかった。

私にとって、三島の事件は、決して過去のことではない。記憶にある。しかし、そのころは、まだ三島の読者ではなかったので、現実におこったリアルな事件というのでもない。そのちょうど中間の微妙なところに位置する。

市ヶ谷での事件があったとき、私は、中学生であった。学校の授業、あるいは、ホームルームの時間だったか、先生(担任)が、三島の事件のことを、熱っぽく語っていたのを記憶している。

私が三島由紀夫を読み始めたのは、高校生になってからである。大学生になってから、三島の作品は、好みということではなかったが、現代文学を代表する作品として、そのいくつかを、文庫本で買って読んだものである。

さて、順番に読んでいくとして、『春の雪』である。再読しての読後感を整理すれば、次の三点になるだろうか。

第一に、上述したように、この長編をもって、三島は最期を迎えている。この長編小説を書いているとき、いつごろから、その最期の行動の決意を固めることになったのか。近現代文学研究に疎い私は知らないのであるが、少なくとも、この『豊饒の海』の連作を書いている途上において、三島は、その決心を固めていったことは、確かであろう。

三島の最期、それが、今回、『豊饒の海』を再読するにあたって、念頭にあったことである。現在の時点からは、三島の最期は、近現代の文学史のなかの一コマとして、位置づけられる……その解釈は別にしても、その事件があったことは当然の事実としてうけとることになる。そして、それをふまえずには、この作品を読むことは、もはやできない。

第二に、これは、私個人の好みによるのだろうが、『春の雪』は、甘美な恋愛小説として憶えている。再読してみてであるが、やはり、その読後感は、基本的に変わらなかった。

日本の近代文学は、「恋愛」をテーマとするものが少なくない。漱石の作品など、『三四郎』にしても『こころ』にしても、「恋愛」が重要な主題であることは、いうまでもないだろう。

だが、その「恋愛」を、ここまで魅力的に描き出した作品は希ではないだろうか。『春の雪』は、日本近現代文学における、傑出した恋愛小説であるといってよい。

それは、大正時代初期という時代設定、華族という設定、の故でもあろう。言い換えるならば、日本のことでありながら、市民的リアリズムからはなれて、どこか別世界のことのように、読むことができる。

第三に、最初読んだときに印象深く憶えているのが、冒頭近くにある、髑髏と清水の例え話。人間が、「事実」だと思っていることは、結局は、その「意識」の作り出した幻影にすぎないのだろうか。

この『豊饒の海』は、「唯識」の文学でもある。近代の仏教文学というジャンルを設定することが妥当かどうかは別にして、もし、そのようなジャンルをたてて見るならば、『豊饒の海』は、かならずやそのなかで重要な位置をしめる作品になるにちがいない。

そして、この「唯識」ということが、最後の『天人五衰』のラストのシーンへとつながっていくことになる。

以上の三点が、40年ぶりに、『豊饒の海』を再読してみて、感じたこと、再確認したことである。

春休み、花粉症のシーズンなので、どこに出かける気もしない。家にいて、自分の部屋で本を読んですごす。その本として、『豊饒の海』を選択してみたことは、よかったと思っている。もし、機会をつくることがかなうなら、再度、読み直してみたい作品である。

追記 2017-03-20
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年3月20日
『豊饒の海』第一巻『春の雪』三島由紀夫(その二)
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