『べっぴんさん』「老い」を描けない2017-03-26

2017-03-26 當山日出夫

NHKの朝ドラ『べっぴんさん』が、次週で最終週をむかえる。いよいよおわりである。一応、毎朝、見てはいるのだが、このところ、毎回が、これで最終回かというようになっている。

ここで気になっているのが、ドラマにおける「年齢」「老い」の描き方である。

ヒロインのすみれには孫の藍が生まれている。孫が生まれれば、家庭内での呼称は、「おかあさん」から「おばあさん/おばあちゃん」に変わってもいいと思うのだが、そうはなっていない。意図的に若く描く必要もないのかもしれないが、会社もリタイアして、これから第二の人生を歩み出そうというのが、この週のメインであったように見ている。

だが、ドラマを見ていると、「老境」とでもいうような人物描写にはなっていない。まあ、それほどの年齢もない、ということなのであろうか。

過去の近いところで、朝ドラを思い出してみると、たとえば、「おひさま」は、年取ったヒロインを若尾文子が演じていた。その回想という形で、ドラマが進行していた。また、「カーネーション」では、年をとった場面になったとき、主演が夏木マリに代わっていた。年配の女優を起用することで、それなりに老年というものを描いていたように思う。

それから、「マッサン」では、ヒロインの交替こそなかったものの、エリーの老年の状態を、シャーロット・ケイト・フォックスが、見事に演じていたのを憶えている。

年をとったから、年寄りとして描かねばならないということではないだろう。朝ドラである。朝に見るドラマで、老人の淡々とした毎日を見せられるのも、どうかと思わないでもない。ましてや、人生の終わり、あるいは、「死」を意識させるような描写も、基本的には避けるのだろう。

とはいっても、会社をリタイアして、そして、次週では、孫(藍)も大きく成長するようだ。そのような状況にあって、人生の「老い」というものから無縁の生活ということも、またないのではなかろうか。それを、朝ドラの中で、どのように描くのか、あるいは、俳優としてどのように演じるのか、このあたり、ドラマの最期の段階になって、ちょっと気になっている。

さらにいえば、年をとるのは、ヒロインのすみれだけではない。仲間の女性達も、また、夫も、年をとる。だが、テレビをみていると、それぞれに年をとってきているようには見えないのである。

女性の半生、一代記を描くということでドラマをつくるなら、年をとった場面で、どのように「老い」を描くかというのは、重要なことだろうと思っている。

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