『豊饒の海』第三巻『暁の寺』三島由紀夫 ― 2017-03-30
2017/03/30 當山日出夫
三島由紀夫.『暁の寺ー豊饒の海 第三巻ー』(新潮文庫).新潮社.1978(2002.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/105023/
やまもも書斎記 2017年3月9日
『豊饒の海』三島由紀夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/09/8397497
繰り返しになるが、私が、この作品(『豊饒の海』四部作)を読んだのは、40年ほど昔、学生の時であった。その時の印象としては、とにかく、この作品『暁の寺』のインドのベナレスでの沐浴シーンを、強く憶えている。いや、このシーンだけを憶えていたといってもいいかもしれない。
今回、『暁の寺』を再読してみて、まずこの小説がタイからはじまることを確認した。タイトルの「暁の寺」は、タイにある寺院である。
「日は対岸の暁の寺(ワット・アルン)のかなたへ沈んでいた。」(p.15)
ここで、本多は、勲の「生まれ変わり」である、タイ王室の王女(少女)と出会うことになるのだが……はっきりいって、そのあたりのことは、もうすっかりと忘れてしまっていた。
三島の文章は饒舌である。あるいは、装飾過多といってもいい。見方によっては、虚飾ともいえよう。その文体が、『春の雪』では、プラスの方向にはたらいていたといえる。だが、『奔馬』では、むしろマイナスの感じがした。簡潔で雄勁、直情な主人公・勲の信条と行動を描写するのに、その文体はあまり向いていないと感じたものである。その饒舌な文体が、見事に花開いて語りかけるのは、この小説『暁の寺』のタイの寺院の様子、それから、インドに行ってベナレスでの沐浴・火葬のシーンであると、私は感じる。三島の濃厚で稠密な文章が、その場面を臨場感豊かに描き出している。逆に、ここは、三島のこのような饒舌で装飾のある文章でなければ描けなかったといってもよいかもしれない。
このような文体で描写することに、おそらく三島は自覚的であったのであろう。次の箇所。
「バンコックの正式名称を何というか御存知ですか」
「いや、知りません」
「それはこういうのです。
クルング・(以下、長いので省略、文庫本で二行ほどある)・プリロム」
「どういう意味です」
「ほとんど翻訳不可能ですね。それはここの寺々の装飾のように、徒らに金ぴか、徒らに煩瑣な、飾りのための飾りにすぎないのですから。(中略)大げさなきらびやかな名刺や形容詞を選び出して、ただそれを首飾のように繋いだだのことなのです。」
(p.13)
装飾過多のタイの寺院の様子を描写するのには、その文章もまた装飾で満ちたものでなければならない。そのように考えるのが自然だろう。三島は、三島なりのレトリックで書いているのであろうが。この意味では、この小説に、インドのベナレスが登場する意図がわからなくもない。その猥雑で錯綜した濃厚な人びとと儀式、河、街、それをそのように描き出したいがために、このインドのシーンはあるようにも読める。
いや、そうではなく、輪廻転生をテーマとしているこの『豊饒の海』には、不可欠なものである、と理解することもできる。(だが、インドの場面は、なぜ、そこでインドが出てこなければならないのか、ストーリーの上での必然性が感じられない。また、そこで言及されることになる、インドの輪廻転生の思想、文化と、この小説の主題が結びついているようにも読めない。)
この小説の読後感としては、インド旅行のシーンは、余計なもののように感じられてならない。しかし、その余計なシーンが、この小説『暁の寺』において最も印象に残るシーンでもある。(三島はひとこと余計なことを書いてしまう作家なのである。そしてそのひとことが印象深く残るのである。あくまでも私の三島についての感想であるが。)
ただ、私が、『豊饒の海』の『暁の寺』で憶えているのは、前半部までであった。今回、ひさしぶりに再読してみて、その後半につづいていることを思い出した。というよりも、改めて知った。いや、ベナレス以降のこの小説、四巻の『天人五衰』をふくめて、断片的にしか憶えていなかった。再読してみて、ああ、このシーンは、『豊饒の海』で読んで印象に残って憶えていたのだな、とあらためて感じたところがいくつかある。
このようにいうこともできようか……『豊饒の海』は、『暁の寺』の前半(第一部)で、終わっている。その第二部以降、『天人五衰』は、形の上では連続しているものの、まったく別の小説になってしまっている、と。
追記 2017-03-31
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年3月31日
『豊饒の海』第三巻『暁の寺』三島由紀夫(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/31/8436052
三島由紀夫.『暁の寺ー豊饒の海 第三巻ー』(新潮文庫).新潮社.1978(2002.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/105023/
やまもも書斎記 2017年3月9日
『豊饒の海』三島由紀夫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/09/8397497
繰り返しになるが、私が、この作品(『豊饒の海』四部作)を読んだのは、40年ほど昔、学生の時であった。その時の印象としては、とにかく、この作品『暁の寺』のインドのベナレスでの沐浴シーンを、強く憶えている。いや、このシーンだけを憶えていたといってもいいかもしれない。
今回、『暁の寺』を再読してみて、まずこの小説がタイからはじまることを確認した。タイトルの「暁の寺」は、タイにある寺院である。
「日は対岸の暁の寺(ワット・アルン)のかなたへ沈んでいた。」(p.15)
ここで、本多は、勲の「生まれ変わり」である、タイ王室の王女(少女)と出会うことになるのだが……はっきりいって、そのあたりのことは、もうすっかりと忘れてしまっていた。
三島の文章は饒舌である。あるいは、装飾過多といってもいい。見方によっては、虚飾ともいえよう。その文体が、『春の雪』では、プラスの方向にはたらいていたといえる。だが、『奔馬』では、むしろマイナスの感じがした。簡潔で雄勁、直情な主人公・勲の信条と行動を描写するのに、その文体はあまり向いていないと感じたものである。その饒舌な文体が、見事に花開いて語りかけるのは、この小説『暁の寺』のタイの寺院の様子、それから、インドに行ってベナレスでの沐浴・火葬のシーンであると、私は感じる。三島の濃厚で稠密な文章が、その場面を臨場感豊かに描き出している。逆に、ここは、三島のこのような饒舌で装飾のある文章でなければ描けなかったといってもよいかもしれない。
このような文体で描写することに、おそらく三島は自覚的であったのであろう。次の箇所。
「バンコックの正式名称を何というか御存知ですか」
「いや、知りません」
「それはこういうのです。
クルング・(以下、長いので省略、文庫本で二行ほどある)・プリロム」
「どういう意味です」
「ほとんど翻訳不可能ですね。それはここの寺々の装飾のように、徒らに金ぴか、徒らに煩瑣な、飾りのための飾りにすぎないのですから。(中略)大げさなきらびやかな名刺や形容詞を選び出して、ただそれを首飾のように繋いだだのことなのです。」
(p.13)
装飾過多のタイの寺院の様子を描写するのには、その文章もまた装飾で満ちたものでなければならない。そのように考えるのが自然だろう。三島は、三島なりのレトリックで書いているのであろうが。この意味では、この小説に、インドのベナレスが登場する意図がわからなくもない。その猥雑で錯綜した濃厚な人びとと儀式、河、街、それをそのように描き出したいがために、このインドのシーンはあるようにも読める。
いや、そうではなく、輪廻転生をテーマとしているこの『豊饒の海』には、不可欠なものである、と理解することもできる。(だが、インドの場面は、なぜ、そこでインドが出てこなければならないのか、ストーリーの上での必然性が感じられない。また、そこで言及されることになる、インドの輪廻転生の思想、文化と、この小説の主題が結びついているようにも読めない。)
この小説の読後感としては、インド旅行のシーンは、余計なもののように感じられてならない。しかし、その余計なシーンが、この小説『暁の寺』において最も印象に残るシーンでもある。(三島はひとこと余計なことを書いてしまう作家なのである。そしてそのひとことが印象深く残るのである。あくまでも私の三島についての感想であるが。)
ただ、私が、『豊饒の海』の『暁の寺』で憶えているのは、前半部までであった。今回、ひさしぶりに再読してみて、その後半につづいていることを思い出した。というよりも、改めて知った。いや、ベナレス以降のこの小説、四巻の『天人五衰』をふくめて、断片的にしか憶えていなかった。再読してみて、ああ、このシーンは、『豊饒の海』で読んで印象に残って憶えていたのだな、とあらためて感じたところがいくつかある。
このようにいうこともできようか……『豊饒の海』は、『暁の寺』の前半(第一部)で、終わっている。その第二部以降、『天人五衰』は、形の上では連続しているものの、まったく別の小説になってしまっている、と。
追記 2017-03-31
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年3月31日
『豊饒の海』第三巻『暁の寺』三島由紀夫(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/03/31/8436052
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