『楡家の人びと』北杜夫(その三)2017-04-12

2017-04-12 當山日出夫

つづきである。
やまもも書斎記 2017年4月10日
『楡家の人びと』北杜夫(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/10/8453740

北杜夫.『楡家の人びと 第三部』(新潮文庫).新潮社.2011
http://www.shinchosha.co.jp/book/113159/

第三部は、戦争(太平洋戦争)の時代を描いている。

第二部のところで、昭和の初期、日中戦争の時代になる。そのおわりに、昭和16年12月8日の日米開戦のことが出てくる。

ここのあたりの描写が、日本の歩んできた「歴史」を、市民、国民、庶民の目で見ると、どのようなものであったのかが、描かれることになる。著者の意図は「歴史」を書くことにはなかったのかもしれないが、今日の視点から読んでみるならば、この作品に「昭和の歴史」を感じ取って読むということは、いたしかたのないことであろう。

いや、あるいは、これは、著者(北杜夫)が、少なからず意図していたことかもしれない。大正から昭和(前期)にかけての時代と、そのなかに生きた人びとの姿を書こうとしたことは、読み取れる。また、作中に、時間の流れとは何であるのか、について見解をのべた箇所もある。第二部、第四章のはじめの箇所。

このような、市民、国民、庶民の視点……著者のことばをつかうならば民草……で「歴史」を描いたものとしては、半藤一利の『B面昭和史』がある。

やまもも書斎記 2016年9月16日
半藤一利『B面昭和史 1926-1945』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/16/8191044

あるいは、戦争中の庶民の生活を描いたものとしては、こうの史代の『この世界の片隅に』がある。

やまもも書斎記 2016年12月11日
こうの史代『この世界の片隅に』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/11/8273353

この『楡家の人びと』を、「歴史」それも「戦争」を描いた小説としてみるならば、次の三点が重要かと思う。

第一に、日中戦争の時代。どことなく暗い世相。しかし、まだ、世の中は比較的平穏であり、生活に余裕のあった時代。そして、中国を相手に戦争をするということに、どことなく不安感、あるいは、後ろめたさのようなものを感じていた時代。楡家の子ども達の箱根での別荘での夏休み、その学校生活など、次第にしのびよる戦争を感じさせるとはいえ、叙情的に、そして、ユーモアを交えて描かれる。これは、主に第二部にでてくる。

第二に、第三部になって、昭和16年に太平洋戦争となり、アメリカを相手に戦争をするとなる、新たな時代を迎えた、世の中が明るくなったと感じる感覚。これで、正々堂々と世界の中の日本として、生き抜く覚悟が生まれてきたような時代の感覚。これは、特に徹吉の感慨、かつてドイツに留学していた経験があることをふまえて、印象的な描写になっている。

ちなみに、このようなものとして、日米開戦を描いたものとしては、NHKの朝ドラでは、「おひさま」(2011年、岡田惠和脚本)があった。

第三に、アメリカと闘うことになって、生活に暗い影が本当にただよってくる時代。戦時下の苦労の多い生活である。日本での人びとのくらし、そして、空襲などの戦災。戦地におもむいたものには、戦闘だけではなく兵士としての日々の生活。

以上の、三点の「歴史」あるいは「時代についての感覚」として、この作品から読みとることができるだろうか。戦争を描くということは、戦地での戦闘をのみ描写するにとどまるものではない。それとともにある、人びとの毎日のくらしがどうであったか、それこそが重要なのである。

これらのことがらが、この作品では、楡家の登場人物たち……藍子、峻一、周二といった子どもたち、それから、米国(よねくに)、欧州の兄弟。楡病院長の徹吉の戦時下での仕事ぶり(病院の仕事と研究、執筆)……これらの様々なエピソードをおりまぜて、描き出される。そこに描かれているのは、銃後の日本の内地での生活(その苦労)だけではない、前線におくられた兵士の視点、海軍の奮闘ぶりと、その凋落、太平洋の孤島(ウエーク島)での生活、等など、実に多様な人物の多様な視点から、描き出される。

それは、強いていうならば、日本国民の物語、とでもいうことができようか。昭和の戦争という時代をどのようにして生きてきたのか、そこで何を感じたのか、それを総合的に、微細に、そして、大局的に、描き出す。

これは、狭義の「歴史」(いわば歴史学という学問)とはちょっと違う。ある共同体(それが想像されたものであるとしても)において、自分たちは、このような時代を生きてきたのだということを、過去をふりかえって確認し、そして、語りつたえていくべきものとしての「物語」である。

このところにおいて、「歴史」と「文学」は、限りなく近接したものになる。

民族は、国民は、市民は、自分たちの「物語」を必要とするのである。そして、それは、「文学」という形で表現されて、初めて納得のいくものになる。

いや、そうではない、歴史的事実の検証こそが、また歴史観こそが重用であるという、歴史学の立場からの反論はあるであろう。それは、そのとおりなのだが、ただ、歴史的事実を実証的に羅列しただけのものは、「歴史」として受け入れられるものにはならない。そこには、なにがしかの「物語」をともなうのである。それは、広義の歴史観といってもいいかもしれない。

歴史学の立場からの反論はあってよいと思う。あるべきである。だが、それは、すでにある「物語」を超えて、さらに新たなる「物語」をどう提示するのか、という作業であることも、一つの側面として、理解しておかなければならないと思う。

そうはいっても、この『楡家の人びと』の体験する戦争は、ちょっと変わっている。特に、米国(よねくに)の性格と描写は、滑稽ですらある。この作品が戦争を描いた作品として、ただ悲惨さのみを強調するようなものになっていない、どことなくユーモアを感じさせるものになっているのは、特に米国の存在によるところが大きいと思う。

そして、悲惨であるはずの戦争が、ユーモアを交えて、そして、ある場面ではきわめて叙情的に描き出される。この『楡家の人びと』は、類い希なる、「戦争の物語」「時代の物語」なのである。

追記 2017-04-13
このつづきは。
やまもも書斎記 2017年4月13日
『楡家の人びと』北杜夫(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/13/8468203