『楡家の人びと』北杜夫(その七)2017-05-03

2017-05-03 當山日出夫

つづきである。

やまもも書斎記 2017年4月14日
『楡家の人びと』北杜夫(その六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/15/8481451

やまもも書斎記 2017年4月26日
『楡家の人びと』北杜夫(新潮文庫)の解説
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/04/26/8500008

『楡家の人びと』について、思ったことを書いてきて、これはどうしても書いておきたいと思っていたことがある。それは、この小説が、脳病院を舞台にしたものであり、そのため、作中には、多くの、精神病者が登場する。そして、重要なことは、その精神病者たちを、作者(北杜夫)が、実に愛情をこめて描いていることである。

近現代の文学で、精神病をあつかった作品がないではない。最近読んだ、あるいは、話題になっている作品としては、『死の棘』がある。

やまもも書斎記 
『死の棘』島尾敏雄2017年1月27日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/01/26/8333549

おそらく、精神病をとりあつかった文学作品としては、『死の棘』と『楡家の人びと』は、対極に位置する。『死の棘』では、私小説として、精神を病んでいく妻のすがたを見つめる夫(作者)の視線が、ある意味で冷酷ともいえるような面をふくんでいる。もちろん、妻への愛情があってのことであるが。

それに対して『楡家の人びと』に登場する精神病者たちは、どれも明るい。むしろ、普通の人間よりも、むしろ人間的であるといってもよい。しかも、それが、独特のユーモアをもって描かれる。ここには、精神病にまつわる暗さとか苦悩とかいうものは、まったない。

これは、おそらく、作者(北杜夫)の生いたち、経歴からして、幼いときより精神病者に親しんできたということもあるのだろうとは思う。だが、そうであるにしても、一般市民、庶民、国民の小説として『楡家の人びと』を書き、そのなかに、精神病者が、普通の人たちと同じようにあつかわれて登場している、これは、これとして、特筆すべき、この作品の特徴であるといってよかろう。

えてして、精神病者には、社会的な偏見がつきまといがちである。そのなかにあって、あくまでも健全な愛情をそそいでいるこの小説の描き方が、日本の近現代文学のなかにあって貴重であるといわざるをえない。

そして、そのような目で見れば、作中の登場人物……たとえば、米国(よねくに)とか……これも、どこかおかしい、といって精神病というわけでもないだろう。だが、このような登場人物を設定することによって、普通の人間と、精神病の人との間に、そんなにちがいはないのであるということが、じんわりとつたわってくる。

いや、むしろ、精神病者の方が、ある意味で、より人間的であるともいえよう。

精神病者への愛情のあるまなざしと、一般の市井の人びとへのまなざしに、この作品では、違いがない。ともに、ある意味でその人生の滑稽さを見る視点がある。このような意味においても、『楡家の人びと』の精神病者のあつかいは、特筆すべきものがあると私は思っている。