『白鯨』メルヴィル(その二)2017-05-15

2017-05-15 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年5月12日
『白鯨』メルヴィル
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/13/8556408

メルヴィル.八木敏雄(訳).『白鯨』(岩波文庫).岩波書店.2004
上巻
https://www.iwanami.co.jp/book/b247497.html
中巻
https://www.iwanami.co.jp/book/b247498.html
下巻
https://www.iwanami.co.jp/book/b247499.html

この作品の本題とは関係ないのだが、日本の視点からみて、気になったことをちょっと書いておきたい。何のために捕鯨をしていたのか、ということである。

私の世代(昭和30年生)であれば、鯨肉というのは、身近な食料であった。小学校の教科書などにも、日本は、南氷洋にまででかけていって捕鯨をしている国であることが、堂々と書かれていたと記憶する。

それが、今では、国際世論のなかで、日本の捕鯨はおいこまれている。

だが、19世紀、アメリカも捕鯨をしていた。その理由は、油(鯨油)をとるためである。肉を食料としたかどうかは、この小説『白鯨』ではさだかではない。ただ、作品中にクジラの肉を食べるシーンは出てはくる。

この作品中では、クジラについての蘊蓄が傾けられている。このような箇所を読んでも、捕鯨の主な目的は、食肉ではなく、油だったようである。油をとった後の、クジラ、その肉はどうしていたのだろうという気がするが、そのことについては、書いていない。

現在の日本の捕鯨は、窮地にたたされている。その観点から、かつてアメリカだって捕鯨をしていたではないか、と言えなくもない。だが、この小説をそのような材料につかうのは、文学の本筋からは離れた議論になるだろう。

とはいえ、捕鯨という行為が、かつては、アメリカなどを中心として行われたいたのであり、その目的は主として油をとるためであった、このことは、歴史的な事実として理解しておいた方がよいのではないかと思う。

捕鯨の文化史、社会史という観点から見ても、『白鯨』という小説は、価値のあるものである。

なお、むかし、若い時、『白鯨』を読んで(たしか昔の岩波文庫版だったと思う)、とにかく印象にのこっていたのが、捕獲したクジラから、油をとるシーンである。捕鯨といっても、肉をとるんじゃないのか、という感じで憶えていた。

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