『魔の山』トーマス・マン2017-05-25

2017-05-25 當山日出夫(とうやまひでお)

トーマス・マン.高橋義孝(訳).『魔の山』(上・下)(新潮文庫).新潮社.1969(2005.改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/202202/
http://www.shinchosha.co.jp/book/202203/

読むのは、同じトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』より前に読んだのだが、ここに書く順番としては後になってしまった。

この作品も、若い時、学生の頃、読みかけて途中で挫折していたという記憶がある。特に難解という作品でもないのだが(後半になると、議論の錯綜するところがあるので、かなり難渋するが)、読み始めは、そんなに難しいという小説でもない。だが、波瀾万丈の大活劇というのではない。アルプスの山中にある国際サナトリウムを舞台にした、「教養小説」である。

この小説は、時間の流れというものが、あってないようなものである。

読みながら付箋をつけた次のような箇所。

(いとこのヨーアヒムの言うこととして)「ここにいる連中は普通の時間なんかなんとも思っていないんだ。まさかと思うだろうけれどね。」(上巻 p.20)

(同上)「ここではそもそも、時間は流れないとぼくはいいたいね。ここのは時間なんていうもんじゃない、また生活なんていうもんでもない――そうさ、何が生活なもんか」(上巻 pp.35-36)

この小説中の時間の流れについては、作者自身もはっきりと書いている。

「不思議といえば不思議だが、しかし、よく考えてみるとこれは当然の話で、物語を話したり聞いたりする場合はぜひこうでなければならないのである。私たちの物語の主人公、ハンス・カストルプ青年は、運命の悪戯によって偶然足止めをくったが、その彼にとってと同様に、私たちにとっても時間が長くなったり短くなったりすること、私たちの時間感覚にとって時間が伸びたり縮んだりするのは当然のことで、これは物語の法則に適っているのである。」(上巻 pp.383-383)

まさに、これは、小説を読む、読者の時間、その時間を、小説の主人公、あるいは、作者と共有するところに、この作品の眼目があるのだろう。この時間の流れ……それは、実にゆったりとしたものである……についていけないような場合、この作品は、退屈そのものでしかないのかもしれない。ただ、小説のストーリーを追うだけのような読み方では、この小説を読んだことにはならない。

「教養小説」として、主人公(ハンス・カストルプ)が、どのような人物に出あい、どのような成長をとげていくのか、それも重用である。だが、それよりも、重要なことは、その成長の歩みを、翻訳で上下巻1500ページほどの分量を読みながら、時間を共有するところで、感じ取るものがなんであるか、それこそが、この作品のうったえかけるものなのであろう。

この意味では、若い時に、ただ、有名な作品だからといって、ストーリーを追うだけのような読み方をしていたのでは、途中でつまらなく感じてもいたしかたのなかったことかもしれない。ある程度時間の余裕があり、その時間を、本を読む、そして、その本の中をゆっくりと流れる時間とともにすごす、このような余裕をもってはじめて、味わうことのできる作品である。

文学を読むには、ただその作品の文字を目で追うだけではなく、その作品を読む時間を、自分の時間としてどのように感じるか、そこにこそ意義がある。私は、この作品を読んで、このように感じた。

だから、はっきりいって、主人公のハンス・カストルプの思想とかは、よくわからない。時代的背景も、社会的背景も、今の日本とは違う。だが、サナトリウムというようなところに身をおいた人間の考えること、その思考の歩みによりそって、感じ、考えを共有する、その時間を本を読む時間としてつかうこと、これこそが、この作品が、世界的に通用する文学たるゆえんである。

作品を読むことにつかう時間というのは、時代が違っても、社会的背景がちがっても、これは、読者にとって、共通するものだからである。この意味では、この『魔の山』という小説は、音楽に近いものなのかもしれないと思ったりもする。

この『魔の山』の主人公、ハンス・カストルプは、小説が、小説を読む時間、その時間そのものを意義あるものと考えるような時代の文学の登場人物である。そう思って、この作品には対する必要があるだろう。

もちろん、この作品のテーマ、死とともに生きているというべきサナトリウムの病人たち、また、戦争というもの、さまざまに考えるべきことはある。だが、それについて語るのは、また時間をおいて、この作品を、再読する機会があれば、それからのことにしたい。少なくとも、この作品は、人間の死というものと真正面から対峙した作品であるということは言っておきたい。この作品の主題は、まさしく「死」であるともいえよう。この作品は、再読、再々読してみたいと思っている。

追記 2017-05-26
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年5月26日
『魔の山』トーマス・マン(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/05/26/8574895