『憲法サバイバル』上野千鶴子・佐高信 ― 2017-06-09
2017-06-09 當山日出夫(とうやまひでお)
ちくま新書編集部(編).『憲法サバイバル-「憲法・戦争・天皇」をめぐる四つの対談-』(ちくま新書).筑摩書房.2017
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069535/
この本の二つ目の対談は、上野千鶴子と佐高信である。じつにきっぱりとした対談といえる。
憲法、あるいは、改憲をめぐっては、いくつか論点があるが、その中で、緊急事態条項について、言及してあるあたりが、まともな憲法論か。(まあ、それ以外は、左翼的な放談だと思って読めばいいと思う。)
ただ、軍隊は何のためにあるのかについて、次のようにあるところは、見逃すべきではなかろう。来栖弘臣という人(統合幕僚会議議長をつとめた)が書いた『日本国防軍を創設せよ』という本にふれて、
(佐高)「その中に「自衛隊は国民の生命・財産を守るためにあると誤解している人が多い」と書いてある(笑)。」
(上野)「じゃあ、何を守るんですか?」
(佐高)「国の独立と平和を守る。彼らの中では、国民の生命・財産と国の独立・平和は違うんだよ。」
(佐高)「国とは、何とかに基づく伝統意識である。要するに天皇制でしょう。」
以上、p.83
左翼的な立場からの、かなり雑な議論である。そのところを大幅に割り引いて考える必要はあるが、ともかく、国家が何のために武力(軍隊)を持っているのか、ということに問いかけを発していることは確かである。
この対談は、私には、左翼的な与太話としか読めないのであるが、国家が軍事力を持つとするならば、それは何のためにあるのか、また、どのようにコントロールされるべきか、という問題意識を提起しているところは、評価して読むことができようか。
それから、現時点での改憲論議にふれては、最後にある次のような指摘は見ておくべきだろう。
(上野)「(伊勢崎賢治の言っていることとして)今さら「九条を守れ」なんて言うな。世界ではもうとっくに、日本は戦争をする国と思われてしまっている。そこで「九条を守れ」なんて言ったら、世界中にわざわざ「日本は嘘つきの国だ」と言って回るようなものじゃないか。」(p.90)
この指摘には同意できる。だが、そうは言っても、憲法の文言として九条があることが、ある種の歯止めになっていることも、また事実ではあろう。嘘をつくことになるかもしれないが、それでも歯止めとしの九条の役割はあると見るべきだろうか。それとも、実際に軍事力をもっている以上は、それを憲法に位置づけるべきなのであろうか。現在の改憲論議の焦点になっているところである。
ここで出てきた伊勢崎賢治は、次の対談に登場する。
ちくま新書編集部(編).『憲法サバイバル-「憲法・戦争・天皇」をめぐる四つの対談-』(ちくま新書).筑摩書房.2017
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069535/
この本の二つ目の対談は、上野千鶴子と佐高信である。じつにきっぱりとした対談といえる。
憲法、あるいは、改憲をめぐっては、いくつか論点があるが、その中で、緊急事態条項について、言及してあるあたりが、まともな憲法論か。(まあ、それ以外は、左翼的な放談だと思って読めばいいと思う。)
ただ、軍隊は何のためにあるのかについて、次のようにあるところは、見逃すべきではなかろう。来栖弘臣という人(統合幕僚会議議長をつとめた)が書いた『日本国防軍を創設せよ』という本にふれて、
(佐高)「その中に「自衛隊は国民の生命・財産を守るためにあると誤解している人が多い」と書いてある(笑)。」
(上野)「じゃあ、何を守るんですか?」
(佐高)「国の独立と平和を守る。彼らの中では、国民の生命・財産と国の独立・平和は違うんだよ。」
(佐高)「国とは、何とかに基づく伝統意識である。要するに天皇制でしょう。」
以上、p.83
左翼的な立場からの、かなり雑な議論である。そのところを大幅に割り引いて考える必要はあるが、ともかく、国家が何のために武力(軍隊)を持っているのか、ということに問いかけを発していることは確かである。
この対談は、私には、左翼的な与太話としか読めないのであるが、国家が軍事力を持つとするならば、それは何のためにあるのか、また、どのようにコントロールされるべきか、という問題意識を提起しているところは、評価して読むことができようか。
それから、現時点での改憲論議にふれては、最後にある次のような指摘は見ておくべきだろう。
(上野)「(伊勢崎賢治の言っていることとして)今さら「九条を守れ」なんて言うな。世界ではもうとっくに、日本は戦争をする国と思われてしまっている。そこで「九条を守れ」なんて言ったら、世界中にわざわざ「日本は嘘つきの国だ」と言って回るようなものじゃないか。」(p.90)
この指摘には同意できる。だが、そうは言っても、憲法の文言として九条があることが、ある種の歯止めになっていることも、また事実ではあろう。嘘をつくことになるかもしれないが、それでも歯止めとしの九条の役割はあると見るべきだろうか。それとも、実際に軍事力をもっている以上は、それを憲法に位置づけるべきなのであろうか。現在の改憲論議の焦点になっているところである。
ここで出てきた伊勢崎賢治は、次の対談に登場する。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589493/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。