『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その二)2017-06-22

2017-06-22 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年6月19日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/19/8600317

三谷太一郎.『日本の近代とは何であったか-問題史的考察-』(岩波新書).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b283083.html

今日は、第1章「なぜ日本に政党政治が成立したのか」の章について見る。

まず問題意識として、日本における政党政治が短命に終わったことを指摘する。その上で、

「まず、それに先だって、そももなぜ日本に複数政党制が成立したのかという問題を取り上げることが必要だと思います。」(p.37)

「特に反政党内閣的であるといわれた明治憲法の下で、なぜ現実に政党内閣が成立したのか。この問題は非常に重要です。」(p.37)

そして、二つのことを考える必要があるという。「権力分立制」と「議会制」である。

明治の日本で、立憲政治がおこなわれた前提として、その前の時代のことを見るべきだとある。

「明治国家におってのアンシャン・レジーム、旧体制である幕藩体制の中に、それなりに明治国家体制の枠組みとしての立憲主義を受け入れる条件が準備されていたと考えるべきです。」(p.42)

江戸時代の幕藩体制の時代にあっても、合議制、権力分立(権力抑制均衡)、ということがあったと指摘する。

この指摘の中で、私が興味深く読んだのは、次の箇所。

ハーバーマスを引用して、

「政治的公共性は文芸的公共性の中から姿を現してくる」(p.51)

と述べている。その具体的な事例として、森鴎外の史伝『渋江抽斎』『北條霞亭』などをとりあげて論じてある。この箇所は、どちらかといえば「文学」の立場にたって本を読んでいる私などには、興味深いところであった。

「そこでは身分制に基づく縦の形式的コミュニケーションではなく、学芸を媒介とする横の実質的コミュニケーションが行われていたのです。」(p.57)

また、幕末になって、「公議」が重用になったと指摘する。

「つまり幕府側も反幕府側もそれぞれの政治的な存在をかけて、「公議」というものをそれぞれの存在理由としなければならなかったわけです。」(p.65)

これをうけて、明治になって明治憲法がができるわけだが、その明治憲法を見ると、明治憲法の権力分立について、

「権力分立制こそが天皇主権、特にその実質をなす天皇大権のメダルの裏側であったのです。」(p.68)

「一見集権的で一元的とされた天皇主権の背後には、実際には分権的で多元的な国家のさまざまな機関の相互的抑制均衡のメカニズムが作動していました。」(pp.69-70)

「明治憲法は表見的な集権主義的構成にもかかわらず、その特質はむしろ分権主義的でした。実はその意味するとことは深刻でした。つまり、明治憲法が最終的に権力を統合する制度的な主体を欠いていたということを意味するからです。」(p.71)

「明治憲法は制度上は、覇府的な存在、要するに幕府的な存在というものを徹底して排除しながらも、憲法を統治の手段として有効に作動させるために、何らかの幕府的存在の役割を果たしうる非制度的な主体の存在を前提としなければならなかったわけです。」(p.72)

そして、その「主体」となり得たものとして、まず「藩閥」があり、次に「政党」であると述べる。

「藩閥が担ってきた体制統合の役割は漸次政党に移行していきます。その意味で政党は藩閥化し、また藩閥は政党化する。いいかえれば、政党が幕府的存在化する。」(p.75)

と結論づける。

以上のような筋書きなのであるが……政党が登場してきた経緯は理解できるとしても、複数政党が競って政権をになうようなシステムがどうしてできたのか、というあたりになると、今ひとつ説明不足な印象が残ってしまう。

74ページで、伊藤博文が立憲政友会をつくり、それに対抗する勢力が……と説明はあるのだが、これだけでは、最初の問題提起の答えとしては弱いように思える。日本の近代の政党政治は、まず政党というものができたことと、それが、複数できて競ったこと、このところに問題点があるのではないだろうか。

政党が政権を担うものとしてできたことと、それが、複数できたこととは、また、別の次元のことがらとして考えなければならないだろう。

このことの補足的な説明として、アメリカでの政党政治の事例があげてある。だが、政党が複数出来て政権を競うようになるメカニズムの歴史的背景は、アメリカと日本で同じというわけではないだろう。

第1章を読んでみて……問題提起は非常にいいと思うが、最終的な説明のところで、いま一つ説得力を欠くことになっているように、私には読める。明治の近代化の前段階として、江戸時代、それから幕末の状況に触れて、その中にすでに「近代」の萌芽があるとの指摘は納得できるものがある。しかし、明治になってから、日本における政党政治の歴史が、何故そのようなものであったかの説明としては弱いところがあるといわざるをえない。

追記 2017-06-24
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年6月24日
『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/24/8603198