『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その四)2017-06-29

2017-06-29 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 『日本の近代とは何であったか』三谷太一郎(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/06/24/8603198

第3章は、「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」。

この章は、わりと面白く読んだ。日清戦争以降、太平洋戦争(大東亜戦争)までの、日本の植民地統治の時代を、まったくネガティブにとらえるか、それとも、それは日本の歴史のあゆみとしていたしかたのないものであったと比較的肯定的にとらえるか、えてして、議論が極端にぶれがちなテーマについて、特に国家の制度設計の観点から冷静に記述してある。そして、この章は、そんなにふかくではないが、共通の文化的基盤というような観点からも記述がある。

まず、日本が植民地帝国へ踏み出したきっかけになった事件として、日清戦争後の、三国干渉が指摘してある。これによって、「自覚的な植民地帝国」への「内面的な動機」となったとある。(p.148)

いくつか興味深い指摘がある。

日本の植民地の特色として、「本国の国境線に直接する南方および北方地域への空間的拡大として行われました。」(p.151)

また、日本の植民地統治は、法的・制度的にどのようにおこなわれたかについて、伊藤博文は、統監が韓国のすべてを支配するようなことには反対の立場であったという(p.156)。そして、韓国の支配をめぐっては、軍と政府との間で、その影響力、支配力をめぐって、確執があったともある。

さらに、韓国併合後、その植民地というものの法的な位置づけついて、美濃部達吉の『憲法撮要』に言及してある。美濃部達吉は、植民地は、憲法のおよばない「異法区域」であるとしたという(pp.164-165)。

このあたり、日本の近代史を考えるうえで、美濃部達吉という人物がキーになってきている。

特に朝鮮・韓国については、「同化」政策が問題とされる。これについては、「教育勅語」による「同化」について、その当時においても否定的な見解もあったことが記される。

この本の記述が面白いと思って読んだのは、1930年代、つまり、昭和になってからの日本のとった国際政策……国際連盟からの脱退など……が、「地域主義」として、アメリカ、あるいは、ヨーロッパの「帝国主義」と対立するものであったという指摘である。日本のとったアジアを中心とする「地域主義」は、その当時のヨーロッパでの、「汎ヨーロッパ主義」をモデルとしてならったものであるという。つまり、「帝国主義」にかわる新しい概念としての「地域主義」ということになる。これが、後には、「大東亜共栄圏」という発想につながっていく。

ともあれ、戦前の日本の歴史をみるとき、それを「帝国主義」ということばでくくってしまうことへの問題点が指摘されていることは確かである(この本では、そのように直接的な批判のことばはないが)。明治から戦前までの日本の歴史について、細かに時代の潮流をおっていけば、画一的に「帝国主義」とひとくくりにすることはできない。

そして、太平洋戦争後、冷戦時代にあっては、アメリカにとって東アジアは、重要な地域であった。だが、その冷戦終了後は、また、別の意味で、東アジアの重要性がある。しかし、東アジアを統合する、そのような文化的基盤は、はたしてあるだろうか。これは、これからの日本、韓国、中国にとっての課題であるとしめくくってある。

この本の第三章の印象としては、明治時代から昭和前期まで、帝国主義の名のもとにひとくくり語られがちな時代について、細かにその時代時代の潮流のあり方を、特に、政治的な制度設計の観点から解説してあるところであろうか。また、この章では、東アジアに統合的な文化基盤があり得るのかという問いを発している。これに答えることは書いていないのであるが、そのような視点をもって考えなければならないということには、同意できる。

追記 2017-07-01
このつづきは、
やまもも書斎記 2017年7月1日
『日本の近代とは何であったのか』(その五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/01/8607561