『ひよっこ』あれこれ「ビートルズがやって来る」2017-07-03

2017-07-03 當山日出夫(とうやまひでお)

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/index.html

第13週、「ビートルズがやって来る」
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/13/

これまでは、土曜日まで見て、日曜日にアップロードしてきた。しかし、この週末は、所用で東京に行ってきたので、一日おくれて月曜の掲載になる。

私は、昭和30(1955)年の生まれなので、ビートルズ来日のときのことは、かすかに憶えている。その武道館公演のテレビ中継を見ていた記憶がある。だが、ビートルズをそんなに意識することはなかった。ビートルズを聴くようになったのは、大学に入って、東京で生活しはじめてからのことだったろうか。

みね子と同じで、テレビはなかった。ただ、ラジオだけがあった。ラジオだけが、自分と世界をつなぐ回路であったのかもしれない。無論、その一方で、大学での学生生活はあったのだが。

たぶん、大部分の日本の人びとにとって、ビートルズってなんだ?……という感じだった。だが、そのなかにあって、一部の熱狂的なファンという人たちもいた。

そのあたりの微妙な温度差というのを、この週ではうまく描いていたように感じた。おじさん(宗男)のビートルズへの熱い思い、それをどうにかしてあげたいと思う、みね子。結局、チケットは手に入らなかったようだ。

最後の土曜日で、みね子たちは、夜空に向かって叫んでいた。ロックが、その当時の若者の、鬱屈した心情をなにがしか反映しているものであるとするならば、その向かうさきは、世界に向かって、あるいは、空のかなたに向かって、心の内にある思いを、叫ぶことにあるのかもしれない。

このドラマ、慶應の学生は出てくるが、学生運動というものとは無縁であるように描いている。その当時の若者にとって、60安保、70年安保は、深刻な意味があったはずである。だが、このドラマはそれを描かない。そのかわり、当時の若者の心情を、ビートルズによせる思いを叫ぶことで、代えている見ている。

高度経済成長期にあって、安保闘争などの時代的背景を直接には描かないとしても、その当時の、若者の心情、こころのうちにあるものへの共感がこのドラマにはあると思う。