『ひよっこ』における方言(その四)2017-08-10

2017-08-10 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年7月24日
『ひよっこ』における方言(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/24/8626384

行方不明になっていた父親(実)が見つかった。そのことの経緯をめぐっては、ドラマはとても興味深い展開であった。が、それはおいておいて、このドラマにおける、方言の問題をさらに考えておきたい。

見つかった父親(実)は、記憶喪失である、という設定。私自身、記憶喪失ということについては、まったく知らない。だから思うことなのかもしれないが、記憶喪失になって、人は、方言を忘れるものなのだろうか。

みね子と再会したときの父親(実)は、方言を話していなかった。共通語であった。どうやら、自分の母方言も忘れてしまっている、という設定かなと思ってみていた。

ところが、みね子と一緒に、田んぼの田植えをするために奥茨城に帰ってくると、父親(実)は、その方言で話していた。方言で話すというよりも、自然と話しことばのなかににじみ出るような感じであった。

これは、たぶん、そのように演出効果をねらって脚本が書いてあるのだろうと思う。故郷に帰った父親(実)は、自分の方言を忘れてはいない、ということなのだろう。

そして、おそらく、このこと……自分の母方言を忘れてはいない……が、今後の、記憶の回復へむかうところの、伏線になっているのだと思う。もし、まったく記憶が回復しないままでおわるような展開になるなら、ずっと共通語を話すままでいくだろう。記憶が回復して、突然、方言で話し出すというのは、ありえない展開であると考える。

たぶん、父親(実)の記憶は回復する、私は、このように推測してみるのだが、どうだろうか。