『おんな城主直虎』あれこれ「井伊最後の日」2017-09-12

2017-09-12 當山日出夫

『おんな城主直虎』第36回、「井伊最後の日」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story36/

前回は、
やまもも書斎記 2017年9月5日
『おんな城主直虎』あれこれ「蘇えりし者たち」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/05/8670592

ここにきて、井伊のイエはどうなるのだろう……ただ、今の我々は歴史の結果を知っているのではある。井伊のイエは残る。

直虎は、井伊のイエの再興を断念した。そして、もはや、故郷である井伊谷の土地に対するパトリオティズム(愛郷心)は、微塵も出てきていなかった。このドラマのはじままったこと、牧歌的でのどかな山間の村々として、井伊谷の村落や、そこに生活している人びとのことが描かれていたのが、嘘のようである。

そして、直虎は、この週の最後のシーンでは、還俗して、龍雲丸と新しく生活をはじめるということになっていた。これは、予想外の展開である。であるならば、今後の井伊のイエは、どうなるのか。まだ、幼い虎松にかかているということなのであろうか。

ところで、この週まで見てきて、思ったことであるが……龍譚寺という寺、そこにいるネコ和尚や僧侶たち……これらの存在が、このドラマにとってきわめて重要な意味をもっていることを感じる。

寺であるから、武家ではない。しかし、井伊のイエの菩提寺であり、いわば井伊のイエの一族を構成するひとつといってもよい。武家ではないが、井伊の一族であるというネコ和尚たちの存在、このような、武家でも農民でない、また、放浪の民、自由民でもない、このようなネコ和尚がいたからこそ、おとわは次郎になり、直虎になった。そして、また、その立場から降りるときも、ネコ和尚が手をかしていた。

純然たる僧侶(出家)でもないし、武家でもないし、商人でもないし、百姓でもない……このような立場にあるネコ和尚が、実は井伊の一族を、とりまとめてきたのである。これは、従来の戦国、中世を舞台としたドラマとしては、きわめて特殊な事例といえるかもしれない。(そういえば、前作『真田丸』では、大蔵卿局という存在が大きかった。)

しかし、還俗した直虎(おとわ)の社会的立場は何なのであろうか。武家ではもはやない。龍雲丸と一緒にいるといっても自由の民でもないようだ。農業に従事するということは、どこかの領主のもとにあるということなのだろうか。

このあたり、戦国、忠誠における、武家でも百姓でもない自由の民という視点を、今後、どのように描いていくか気になるところである。そして、井伊のイエのゆくすえは、虎松にかかっていることになる。また、徳川とどのような関係をこれから築いていくかも重要なポイントになるのだろう。

井伊のイエをまもる、再興するというエトスは、おそらく虎松が受け継いでいくことになるのであろう。

追記 2017-09-19
この続きは、
やまもも書斎記 2017年9月19日
『おんな城主直虎』あれこれ「武田が来たりて火を放つ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/19/8679581