『ジャン・クリストフ』ロマン・ローラン(その二)2017-09-29

2017-09-29 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年9月28日
『ジャン・クリストフ』ロマン・ローラン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/28/8685378

昨日、この本について書いたとき、書誌として、

1986年(改版)

と記しておいた。これは、文庫本(岩波文庫)の奥付の記載がこうなっているから、このようにしておいたのである。「改版」というからには、その元になった版がいつ出たのか、書いてないと困るのだが、岩波文庫版の奥付にはその記載がない。ただ、1986年の改版とあるだけである。

ところで、この本、訳者(豊島与志雄)の「序」がついている。それは、1920年(大正9年)である。そして、「序」のつぎに「改訳について」と題する文章があある。日付は、1921年(大正10年)である。

さらに、それに付加するかたちで、「編集付記」とあって、

「岩波文庫版『ジャン・クリストフ』は従来八分冊の編集であったが、今回これを四分冊にあらためた。」

とある。日付は、1986年である。

ということは、大正9年(あるいは、大正10年)に、まず本が出たのであろう。それは、八冊本であった。それを、改版して、四分冊にしたのが、1986年。その版をいまだにつかって刊行している、という事情なのだろう。

翻訳が1920年だとすると、今からざっと100年前である。

ともあれ、この作品の翻訳は、大正時代のものということになる。そう思って読んでみると、時々であるが、妙に堅苦しい漢語が出てくることがある。今は、こんなことばはつかわないだろうというものである。

だが、このようなごく一部の難解な漢語をのぞくと、作品全体の訳文は、きわめて平易で読みやすい。現代の訳だといわれても、違和感なく通じるものになっている。

日本における外国文学の受容は翻訳によることになる。その翻訳の文章として、大正時代にすでに確立したものがあって、それが、現在まで脈々と受け継がれてきているということになる。これは、日本語の文章史を考えるうえで興味深い。小説の文章、その翻訳の文章というものが、大正時代にほぼ完成したものになっていたことをしめすものだろう。

少なくとも豊島与志雄という人の文章をみると、大正時代に、21世紀の今日にも通じるだけの翻訳の日本語の文章をつくりあげていた、このことは留意しておくべきことだと思う。

大正時代の文章といって小説で思い浮かぶものとしては、例えば、芥川竜之介などがある。あるいは、晩年の漱石とか鴎外とか。この100年の日本語の文章史というものを、改めて考えてみなければならないと思っている。