『ひよっこ』あれこれ「グッバイ、ナミダクン」2017-10-01

2017-10-01 當山日出夫(とうやまひでお)

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/index.html

最終週「グッバイ、ナミダクン」
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/26/

このドラマもようやく最終週になった。最後になって、懸案になっていた伏線の重箱が登場してきた。

そして、最大の問題点は、父(実)の記憶が回復するかどうか、なのであるが、これが、どうも曖昧なままでおわっていた。すずふり亭にあずけてあった重箱のことを父(実)は思い出す。おそらく、これが、今後の記憶の回復のきっかけになるのであろう……というあたりを暗示するところでドラマは終わっていた。

これはこれでいいのだと思う。おそらく、記憶喪失になった人間が、記憶を回復するプロセスは、心理的に非常に重圧をともなうものにちがいない。このようなことは、以前に、世津子が言っていた。

故郷に帰って農業に従事することなった父(実)は、新しく花の栽培をはじめる。これは、新しい谷田部家のスタートでもある。もし、記憶がもどらないとしても、これはこれで、充分に充実した、ある意味では幸福な生活でもある。

東京に出て、家族の歌番組で、父(実)は言っていた。世界一の家族であると。父(実)自身にとっても、今のまま……記憶のもどらないまま……であっても、奥茨城で新しい人生を再スタートさせたことになる。そこで、満ち足りた生活をおくることができそうである。

むしろ、何かの拍子に、突然記憶がよみがえって心理的に重圧を感じるようなことがあるとすれば、むしろその方が、不幸である。父(実)にとっても、みね子たち家族にとっても、また、世津子にとっても。

記憶がもどるかもどらないか、そのギリギリのところで、このドラマは終わらせている。これはこれで、一つのハッピーエンドのあり方だと思う。父(実)の出稼ぎからの失踪、みね子の上京、就職、とこれだけでも、充分にこの世の中の理不尽、不条理を、登場人物たち……父(実)をはじめ、みね子たち家族、それから、世津子をふくめて……は、味わってきている。これ以上、さらに理不尽で不条理な展開になる必要はない。

最後は、みね子の結婚と、父(実)の記憶回復のきざし……これで、ハッピーエンドにした脚本は、一つの立場であると思うのである。

ところで、残念なことが一つだけある。最後に、谷田部家のみんなでハヤシライスを食べたのはいいとしても、みね子の夢であったビーフシチューはどうなったのだろうか。無事にみね子がビーフシチューを食べることができたかどうか、気になっている。あるいは、これはもう不要な心配か。ヒデと結婚したみね子は、今度は、新しい家庭で、家族のためにビーフシチューを作ることになるのだと、未来を想像しておくことにする。