『ともしび・谷間』チェーホフ2017-10-20

2017-10-20 當山日出夫(とうやまひでお)

チェーホフ.松下裕(訳).『ともしび・谷間』(岩波文庫).岩波書店.2009
https://www.iwanami.co.jp/book/b248266.html

岩波文庫で出ているチェーホフの短編集というと、まずこの本になるだろうか。新潮文庫版『かわいい女・犬を連れた奥さん』とは、いくぶんの重複がある。

収録作品は、
「美女」
「ともしび」
「気まぐれ女」
「箱に入った男」
「すぐり」
「恋について」
「谷間」
「僧正」
「いなずけ」

「谷間」「いいなずけ」が重複しているのだが、異なる訳で読んでみるのもいいかと思って読んだ。

読みながら付箋をつけた箇所。

「この世のことは何ひとつわかりゃしない!」
「ともしび」 p.99

「人間に必要なのは、二メートルの土地でもなければ、地主屋敷でもなく、地球全体、自然全体で、その広がりでこそ人間は、自由な精神のあらゆる特徴、特質をのびのびと発揮できるのですよ。」
「すぐり」 p.188

このような文言に接すると、私は、19世紀から20世紀への時代の流れというようなものを感じずにはおられない。これは、トルストイや、ドストエフスキーなどの長編ではなく、短編小説のなかの台詞である。短篇小説において、ここに引用したような発想を作品に描きだしたとことに、チェーホフの同時代に抜きん出た文学的な新しさがあるのだろう。それは、また、今日、21世紀になっても、なおチェーホフの作品を読むに価するとなるならば、このようなところにおいてであろうとも思う。

モーパッサンの小説のような「おち」のある作品ではない。登場人物の人生のひとこま、一瞬の光景をきりとってみせるような作品である。だが、その一瞬の光景の印象のなかに、この世の中のすべてを見通している。この世界のすべてが、この一瞬の時間の中に凝縮されてある。

私がチェーホフの作品を、(若い時にも読んだはずなのだが、もう忘れてしまっているので)再読してみて感じるのは、詩情であり、また、新しい時代に生きるという思想である、といってよいであろうか。あるいは、年をとってから読んでいるので、このような側面を強く感じるということもあるのかもしれない。

昔は、世界文学の名作だからというので、ただストーリーを追うだけのような読み方を若いときはしていた。それが、今になって、じっくりと作品の表現の陰影を感じながら、じっくりとページをめくっていきたくなっている。

追記 2017-10-27
この続きは、
やまもも書斎記 2017年10月27日
『ともしび・谷間』チェーホフ(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/10/27/8714181

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