『明暗』夏目漱石2017-11-10

2017-11-10 當山日出夫(とうやまひでお)

「定本漱石全集」第11巻『明暗』.岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/b313876.html

漱石の『明暗』を読んだ。何回目になるだろうか。新しい「定本漱石全集」が刊行されているのに合わせて漱石の作品を読んでいこうとおもいつつ、途中でとまってしまっていた。『明暗』まで来てしまった。でもまあ、最後の『明暗』を読んで、そこから遡っていってもいいかと思って読んだ。

若い頃……学生のころ……一番好きな漱石の作品は『猫』であった。これも何度読み返したことだろうか。前の17巻本の全集の第一巻目である。この本で一番よく読んだだろうか。

『猫』のどこにひかれたのか。たぶん、その諧謔のうらにある「神経衰弱」に対してである。『猫』は、単なるユーモア小説ではない。この作品を書いていたころの漱石は、「神経衰弱」に悩まされていたことは、知られていることだと思う。『猫』を読むと、そのような作品を書かざるをえなかった、漱石の心理の有様が、なんとなく察せられる。「神経衰弱」に悩む漱石に共感して、『猫』を読んでいたといっていい。

今、この年になって……漱石の没年を10年以上もすぎて、ただ馬齢を重ねるだけになってしまって……一番こころひかれる漱石の作品は、晩年の『明暗』である。

この作品のどこにひかれるのか。それは、「則天去私」である。いや、現代の漱石研究の立場からするならば、晩年の漱石が「則天去私」の境地にあったとはいえないということになる。とはいっても、晩年の漱石が、『明暗』の原稿執筆と同時に漢詩文の世界……それを「則天去私」といっておくことにするが……に遊んでいたことは知られている。漢詩文の世界にひかれるような、それとは異質な人間のエゴイズムを描いた作品として『明暗』はある、ということになる。

『明暗』を読んで感じることは、この作品自体の面白さもあるが、その行間・紙背から感じ取ることのできる、漢詩文の世界に遊びたくなる、こころの機微である。

無論、小説として読んで、『明暗』は面白い。だが、それだけではない。『明暗』を書きながら、同時に漢詩文の世界にひたっている漱石の心情に、気持ちがなびくのである。

このように感じるということは、私が、年をとってきたせいなのだろうと思う。若い時のような感覚で、漱石の作品を読むことはできない。年をとるにしたがって、漱石の作品から感じ取るもの、その作品への好みもまた変わってくる。

『明暗』を読んで、これからさかのぼって漱石の作品を読んでいくことにしようかとおもっている。