『行人』夏目漱石2017-11-17

2017-11-17 當山日出夫(とうやまひでお)

夏目漱石.『行人』(定本漱石全集).岩波書店.2017
https://www.iwanami.co.jp/book/?book_no=297944

『行人』の単行本の刊行は、大正3年(1914)である。

『明暗』からさかのぼって漱石の作品を読んでいっている。『行人』は、漱石の後期の作品のなかで、気にいっていたものの一つである。若いころのことだが。

若いころ……学生のころ……漱石の作品で一番すきだったのは、『猫』である。諧謔のうらにある神経衰弱なやむこころにひかれていた。そして、その同時代のことを描いた『道草』も、何度か読みかえしている。『猫』を書いたころの漱石との違いなど、思ったものである。

『行人』は、連作短篇という形式をとってはいるが、たぶん漱石が書きたかったのは最後の「塵労」の章なのだろうとは思う。これが、普通の読み方だろう。

どうしても人を信用することのできない、人間不信におちいった兄の姿をそこに見いだすことになる。月並みな言い方になるが、近代社会における個人・自我の問題を、つきつめた形で表現してある。

一つの小説としては、その後に書かれた『心』『道草』のような、全体としてのまとまりには欠ける。着地点を考えずに、とにかく書いていってみて、新聞に連載してみて、最後に、兄の孤独な精神を描いて終わりになったという印象である。

近代文学を専門にしているというわけでもない、一人の読者として、楽しみとして本を読む、そのような立場で読んでみて、『行人』に描かれた兄の姿には、やはり、『心』における先生を重ねて読んでしまう。どうにもすくわれようのない近代の孤独におちいってしまった人間の姿である。

だいたい十年おきぐらいには、漱石の主な長編をまとめて読み返すことにしている。この前、読んだのは、Kindleであった。その時の印象としては、『行人』の兄に一番共感するものを感じて読んだのを憶えている。

今回、新しい「定本漱石全集」版で、読み直してみて、一番好きな作品はといわれると『明暗』になる。その『明暗』の面白さが、若いころにはわからなかった。人生のそれぞれの時期に応じて、面白い作品がある。これが、漱石がいまだに人気のあるゆえんかもしれない。

ところで、「定本漱石全集」は、自筆原稿主義である。だが、『行人』は、(幸いなことに、あるいは、不幸なことに)自筆原稿が残っていない。初出の新聞連載、そして、単行本を底本としてあつかってある。だから、総ルビである。私は、この方が、読みやすい。

で、気になったのが「彼女」。「かのぢよ」か「かのおんな」なのか。両方でてくる。付箋をつけながら読んでみたのだが……どうも、明確な区別があるようには読み取れなかった。

あるいは、このことについては、すでに論文などあるのかもしれないと思っているのだが、面倒なので、特に調べもせずにおいてある。自筆原稿主義もわからなくはないが、その当時の読者が、どんな本文を読んでいたのかわかるという意味での初出主義も本文校訂の方針としてあってよい。

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