『おんな城主直虎』あれこれ「悪女について」2017-11-21

2017-11-21 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』第46回「悪女について」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story46/


前回は、
やまもも書斎記 2017年11月14日
『おんな城主直虎』あれこれ「魔王のいけにえ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/14/8727171

今回の〈主役〉は、瀬名であった。

何のために生きているのか、何のために自分の命をつかうことになるのか、瀬名と直虎(おとわ)との対話のシーンが印象的であった。

ドラマの大きな筋としては、次の二点だろうか。

第一は、万千代の徳川のイエに対する忠誠心。そして、家康の万千代に対する信頼感、この形成のプロセスを描いたということ。このドラマは、井伊の物語としてはじまったのであるが、ここにきて、井伊のイエはもはや存在しないも同様である。万千代は井伊の家名を再興した。だが、それは、井伊のイエのためではなく、徳川に忠誠をつくすためのことであったことになる。徳川のイエのためである。

第二は、そのような万千代を後見する立場にある直虎(おとわ)の生き方の問題。戦国乱世の悲劇をなくしたい、平和な世の中をのぞんでいる。ここで直虎が見ている悲劇は、合戦によるものではない。戦国大名どうしの権謀術数のなかで、くりかえされる悲劇である。

合戦場面を基本的に描かない方針であると思えるこのドラマにあって、戦国時代の悲劇とは、合戦による死よりも、勢力をもつ戦国大名の争いのなかで、運命に翻弄される、弱い立場のものの悲劇である。

以上の二点を軸にして、ドラマの舞台となっているのは、井伊ではなく、徳川のイエである。そして、我々は、歴史の結果を知っている。織田は滅びる。そして、豊臣を経て、最終的に徳川の時代になることを。その徳川の平和の時代を準備するものとして、直虎(おとわ)や万千代の「志」があった、ということでいのだろう。そのように、このドラマは描いている。

今回は、ネコが出てこなかった。ちょっとさびしい。
追記 2017-11-28

この続きは、
やまもも書斎記 2017年11月28日
『おんな城主直虎』あれこれ「決戦は高天神」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/28/8736014