『事件』大岡昇平2017-11-30

2017-11-30 當山日出夫(とうやまひでお)

大岡昇平.『事件』(創元推理文庫).東京創元社.2017
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488481117

まず、この作品は、当初『若草物語』の題名で、朝日新聞の夕刊に、1961年1月29日から、1962年3月31日まで連載された。その後、
初版 新潮社 1977
新潮現代文学 1978
新潮文庫 1980
と刊行された。さらに、
『大岡昇平集』6.岩波書店.1983
に収録されている。

この創元推理文庫版は、『大岡昇平集』6を底本にして、それに加えられた著者の訂正を反映したもになっているとのこと。つまり、この創元推理文庫版が、最終的な版ということになる。

1978年、第31回の日本推理作家協会賞を受賞している。

私は、この作品は、再読である(と、思う。)読んでいると覚えているのだが、はて、どの版で読んだかまではさだかでない。たぶん、新潮文庫版でだっただろうか。

『事件』であるが、法廷ミステリといっていいのだろう。だが、真犯人は誰か……という方向でのミステリではない。事件の筋はいたって簡単である。犯人は、誰であるか、この点については、首尾一貫している。この意味では、最後の意外性、いわゆるドンデン返しは無い。

描いているのは、基本的に、法廷での場面。裁判官、検察官、弁護士、それらの立場にたって、事件の真相にせまろうとしている。この意味では、法廷ミステリになる。

通常の法廷ミステリなら、弁護士、あるいは、検察官、いずれかの立場にたって、事件の真相を追究し、場合によっては、最後に意外な結末、事件の真相があきらかになる……という筋書きになるのだが、この作品はそうはなっていない。裁判にたずさわる、裁判官、検察官、弁護士、それぞれが、この事件をどう見ているのかが、描かれる。いってみれば、法的な真相の解明、ということになるだろうか。それをもとめて、裁判官、検察官、弁護士、それぞれのアプローチをしめしてある。もちろん、最後には、裁判官の判決で終わりになるのであるが。

読んでみて感じたことをいささかのべれば……ほとんどが、裁判の場面がほとんど。それにいくつか、判事、弁護士などの、この事件の裁判にかかわることになった人物についての、やや個人の事情にふみこんだ描写がすこし。かといって、特に、誰の立場に肩入れするという描写にはなっていない。判事にも、弁護士にも、それぞれに事情があるというように読める。

また、述べたように、裁判の過程を通じて、知られざる真相が明らかになるということはあまりない。(後半になって、それまで検察側で知り得なかったことが、明らかにはなるが、それが、「犯人」は誰かを決めることにはなっていない。)

登場人物も限られている。事件の当事者(犯人)、その被害者、その妹、他に関係する人物が少し。他は、すべて、法曹関係(裁判官、検察官、弁護士)である。

要するに、これは、ほとんどがある事件の裁判の過程を描いた小説なのである。にもかかわらず、退屈することなくほとんど一気に読み通してしまった。たぶん、これは、作者が描こうとしたのは、日本の刑事裁判について……しかも、それにいくぶん批判的な視点をまじえて……であるせいだろう。

作者が、その登場人物の内面の心理にまで踏み込んでいるのは、法曹関係者にかぎられている。事件の関係者は、ただ登場人物として登場するだけである。『事件』という小説は、裁判の進行と、それにかかわることになった法曹関係者の小説である。この意味においての法廷ミステリということになる。

その裁判についての、客観的で冷静な描写と、日本の法曹に対しての批判的視点、これが、この小説の魅力であると思う。そして、作者が最後に描いているのは、裁判で判決がくだされたものとしての事件と、本当はどうだったのかという究極的な問い、でもある。通常の推理小説が、普通ならば事件の真相としてしてしまうところを、最後に残している。だが、それでも、読後に不満が残らないのは、一連の裁判の描写、裁判官、検察官、弁護士、それぞれの立場が丁寧に描写されているせいだろう。最後の判決になって、そのことに納得のいくように書いてある。

追記 2017-12-01
この続きは、
やまもも書斎記 2017年12月1日
『事件』大岡昇平(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/01/8738016