『文学問題(F+f)+』山本貴光2017-12-09

2017-12-09 當山日出夫(とうやまひでお)

山本貴光.『文学問題(F+f)+』.幻戯書房.2017
http://www.genki-shobou.co.jp/index.html

夏目漱石の『文学論』についての本である。が、この本のタイトルには、そのことが明示されていない。これは、意図的にそうしたのだろう。『文学論』についての本でありながら、それを超えたとことの議論をしたい、そのような思いがあってのことと思われる。

だが、読んでみると、まぎれもなく、『文学論』の解読である。

漱石の『文学論』は、著名ではあるが、難解で、あまり誰も読もうとしない、という感じの本としてあったように思う。岩波文庫版でも出ているし、無論、「全集」にもはいっているが、はっきりいって、私は、これまで、きちんと読むことをしてこなかった。

ともあれ、この本が出たおかげで、『文学論』がいったいどんなことを語っている本なのか、その輪郭がつかめた……無論、著者(山本貴光)のひいた筋にしたがってであるが。

この本は、三部構成になっているが、その第一部が、「漱石の文学論を読む」として、『英文学形式論』『文学論』の、解読にあてられている。メインは、『文学論』であり、その主張となる、文学は(F+f)である……ということで、漱石が何を言おうとしていたのかの、解説になっている。

順次、現代語訳をあげ、原文を示し、また、必要に応じて脚注、参考文献の指示などがある。実に丁寧なつくりになっていることが実感される。

この本を通読してみて……脚注まで細部にわたって読むということはなかったのであるが……『文学論』の読解としてすぐれていると感じさせるのは、「問い」を設定することによって『文学論』を読んでいることである。

章節ごとの区切りに、そこで漱石は何を問いかけているのか、「問い」が設定されている。これは、実にすぐれた本の読み方であると思う。

勉強するということは、「答え」「解答」を知ることではない。そこにどんな「問い」があるのかを発見することである。『文学論』を読んで、文学とは何であるかの「答え」を見いだそうとはしていない。そうではなく、漱石が、どのような問題意識でもって文学というものをとらえているのか、「問い」をそこから導き出すことで、読み解いている。

これは、すぐれた本の読み方である。

この「問い」が重要であるということについては、すでに書いたことがある。

やまもも書斎記 2017年3月31日
人文学は何の役にたつか
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/07/31/8634014

この本を読んで、「文学」とは何であるかを知ることもできるだろう、また『文学論』に何が書いてあるかを知ることもできるだろう。だが、それよりも重要なことは、本を読むということは、ある問題意識をもって、その著者が何を「問い」として問いかけているのかを読みとることである、このことを実践して見せてくれた本として、この本はきわめて意味のある本だと思う。

この『文学問題(F+f)+』は、文学とは何かを考えた本であり、また、『文学論』を解読した本でもあるが、それと同時に、『文学論』からどのような「問い」を取り出すことがことができるのか、この視点から本を読んでみせた、すぐれた実践的な本である。

追記 2017-12-14
この続きは、
やまもも書斎記 2017年12月14日
『文学問題(F+f)+』山本貴光(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/14/8747924

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