『文学問題(F+f)+』山本貴光(その二)2017-12-14

2017-12-14 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2017年12月9日
『文学問題(F+f)+』山本貴光
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/09/8745142

この本は、三部構成である。その第二部は、

『文学論』で読む世界文学

取り扱われている作品は、以下の10作品。多くはないので、書いてみる。

1.『ギルガメシュ叙事詩』
2.ホメロス『イリアス』
3.李白「客中作」
4.『アラビアンナイト』
5.紫式部『源氏物語』
6.アンドレ・ブルトン『溶ける魚』
7.ジェームス・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』
8.イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』
9.リディア・デイヴィス「フーコーとエンピツ」
10.円城塔「Boy's Surface」

はっきりいって、知らなかった作品、作家もある。ともあれ、古今東西の文学をとりあげて、それが、漱石の「F+f」で読み解けるかどうか試みている。

それが成功しているかどうかであるが……これは、どうも判断が難しい。何しろ、始めて読む、名も知らない作家の作品を示されて、それが「F+f」でどうかと言われても、ちょっと困惑してしまう、というのが正直なところ。

とはいえ、このような文学の読み方があり得るということは、この本の示したかったところなのであろう。私たちが文学を読むとき、何を感じているのか、どのようなプロセスで、文学を読んだということになるのか、それを「F+f」という公式をつかって、解き明かしてみた、そのチャレンジとみればいいだろうか。

もちろん、「翻訳」という問題もある。李白「客中作」は訓読読み下しである。また、『源氏物語』は原文(翻刻、校訂文)であるが、現代語訳も参考までに脚注に書いてある。

『源氏物語』であるが、日本文学研究の立場からの源氏論はふまえて書いているとは思われるが、読んで興味ぶかかった。登場人物の心中思惟、会話、行動の描写が、第三者視点から描かれる……これは、日本文学研究の立場からすれば、女房の視点、ということになるのだろう。日本文学研究を専門とするのではない別の立場から見ての源氏物語の文章論として、面白いと思って読んだ。

ともあれ、「F+f」はあまりにも抽象的な概念規定である。であるが故に、漱石のこの定義が、ほとんどの文学……漱石の時代の以前はもちろんのこと、現代の文学にいたるまで……において、なにがしか適用できてしまう。これを漱石の慧眼とみるか、大風呂敷とみるかは、読者の判断の分かれるところかもしれない。だが、少なくとも、文学一般というものを「F+f」で考えてみることの、有効性の検証ということには、成功しているのではないか。また、博識な著者(山本貴光)による、文学の読解案内として読んでも、面白い。

自分が文学作品を読んで、その時に感じ取っているものは何であるのか……この点について、「F+f」をわきにおいて、ふと考えてみる価値はあると思うのである。

追記 2017-12-15
この続きは、
やまもも書斎記 2017年12月5日
『文学問題(F+f)+』山本貴光(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/15/8748537

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