『近代秀歌』永田和宏2017-12-23

2017-12-23 當山日出夫(とうやまひでお)

永田和宏.『近代秀歌』(岩波新書).岩波書店.2013
https://www.iwanami.co.jp/book/b226194.html

むかし、高校生の頃に読んだ歌を確認してみたくなって、手にした本である。

著者は、歌人であると同時に、生物学者でもある。岩波新書で、理系・文系と両方の分野の本を出しているのは、著者だけらしい。

確認したかったのは、木下利玄である。

牡丹花の咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ

この歌、うろ覚えながら記憶していた。彼岸花のイメージで覚えていたのだが、ちがっていた。牡丹の花であった。彼岸花については、木下利玄の次の歌と混同して記憶してしまっていたのかもしれない。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径

他にも教科書には短歌が載っていたと思うのだが、鮮明な印象で記憶に残っているのは、斎藤茂吉と木下利玄である。斎藤茂吉については、すでに書いた。

やまもも書斎記 2017年12月8日
『赤光』斎藤茂吉
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/08/8744535

斎藤茂吉の場合は、ツバメ。木下利玄では、花。その視覚的なイメージで記憶している。

ともに叙景歌といってもいいだろう。それが、いいようのない叙情性を感じさせる歌になっている。というよりも、そこに叙情性を感じるものとして、私の記憶のなかにあった。

叙景歌が、なぜ叙情性を感じさせるのか……おそらくそこには、歌、詩歌というものの玄妙さがなせるわざなのであろう。ここから先を考えることは、おそらく「詩学」とでもいうような領域になる。今の私にとても手の出せる領域ではない。

木下利玄については、「日本の詩歌」(中央公論社)の『太田水穂 前田夕暮 川田順 木下利玄 尾山篤二郎』を、買って手元においてある。近代の詩歌については、順次、読んでいくつもりでいる。(今、「日本の詩歌」は安く手に入る。)

ところで、『近代秀歌』は、これはこれとして面白い本であった。文学としての近代短歌……短歌だから文学だとは私は考えない、これは、折口信夫のながれをくむ国文学研究で考えることとして……を、考えるうえでは、恰好の入門書、概説書であると思う。ただ、著者は、そのような読み方をされることは意図していなかったは思うのだが。

むかし、私が高校生のころ、あるいは、大学で国文学を学ぶ学生であったころ、このような本があったなら、また違った道を選んでいたかもしれない。