『新版 國語元年』井上ひさし2017-12-26

2017-12-26 當山日出夫(とうやまひでお)

井上ひさし.『新版 國語元年』(新潮文庫).新潮社.2017
http://www.shinchosha.co.jp/book/116835/

書誌的な解説は次のようになる。

単行本『国語元年』が、新潮社から、1986。それに、「国語事件殺人辞典」「花子さん」を加えて、新潮文庫版『國語元年』が、1989。この本は、そのうちから「國語元年」だけをとりだして、一冊にしたもの。

また、中公文庫版の『國語元年』とも異なる。

井上ひさし.『國語元年』(中公文庫).中央公論新社.2002
http://www.chuko.co.jp/bunko/2002/04/204004.html

私の「國語元年」を見た、読んだ経歴を書けば……まず、テレビ(NHK)で放送の「國語元年」は見ている。その戯曲版が中公文庫版。これとは別に演劇として上演された「國語元年」がある。これは見たことがない。今回の新潮文庫版は、その舞台戯曲版の「國語元年」である。

中公文庫版と新潮文庫版では、内容的には基本的に同じであるが、大きく異なっているところは、新潮文庫版では、唱歌が随所に取り入れられていることである。これは、かつてのテレビ放送でも、中公文庫版でも無かったことである。

このたび、新潮文庫版の『國語元年』を読んで思うことをいささか書いておく。

上述のように、舞台版としては、唱歌が重要な役割をはたしていることがある。この物語は、知られているように、文部官僚・南郷清之輔を主人公として、「全国統一話し言葉」の制定をめぐっての、悲喜劇である。結局、南郷清之輔のこころみは成功することなく、最終的には、精神の病を得てこの世を去ることになる。

人為的に、あるいは、国家の権力によって、強引に「全国統一話し言葉」を決めることは、結局のところ失敗する。だが、この作中(新潮文庫版)では、唱歌だけは、明治にはじまって、今日にうたい継がれているものとして登場してくる。そして、その唱歌にかかわったのも、また南郷清之輔という設定である。

ここがテレビドラマ版と大きくちがっているところである。このところに、私は、作者・井上ひさしの日本語についての、思いの変化を見て取る。

舞台、演劇というところで、唱歌を効果的にあつかっている。そして、その唱歌のことばは、文語文である。口語体ではない。ここに私は、日本語をつかう人びとの共同体としての、ノスタルジーのようなものを感じてしまう。国家権力による「全国統一話し言葉」は失敗する。しかし、それ以前からの文語をふまえた唱歌は、明治から現代にいたるまで生きのびている。その淵源は、どこにあるのか。明治以前の古代・中世からの日本語の歴史にもとめることになろう。

人為的な「全国統一話し言葉」に対して、自然に人びとのこころの中でうけつがれている古くからのことばがある。それを表象しているのが、唱歌ということになるのだと思って読んだ。

ここのところを、井上ひさし論として、どうとらえるかは、難しいところかもしれないが、一番重要なポイントになると思う。ここを、井上ひさしは、いわゆる伝統的な日本語共同体というところに退歩したのではないかとも、理解できなくはない。唱歌といえども、それは、明治政府が意図的に制定したきわめて人為的な、作られた伝統でもあるのだから。

ところで、『國語元年』(中公文庫版、新潮文庫版)を読んで、また、その解説(岡島昭浩)を読んで、私の感じたところを一つ述べるならば、近代の日本語を論じる時に、えてしてわすれがちになる視点……今日の日本語をつくりあげてきた、先人たちの努力へのリスペクトこそ、重要なのであるということである。

近代の日本語研究は、学会の名称が、「国語学会」から「日本語学会」に変更になったことに象徴的に表されているように、その学問自体が、きわめて批判的なまなざしで見られてきたという経緯がある。このような経緯のなかで、日本語学・国語学という分野で勉強して来た私の感ずるところは、近代になってからの先人たちの努力あってこその今日の日本語である、ということである。たとえ、その負の側面をいかにあげつらうとしても、その結果としてある、今日の現代日本語のうえに、我々の言語文化、社会、歴史がなりたっていることはまぎれもない事実である。この事実のうえに、謙虚になって、近代日本語をつくりあげてきた先人たちの仕事にリスペクトをもって向かうべきではないだろうか。

追記 2017-12-30
この続きは、
やまもも書斎記 『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/30/8757864

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