『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)2017-12-30

2017-12-30 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2017年12月26日
『新版 國語元年』井上ひさし
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/26/8755325

井上ひさし.『國語元年』(中公文庫).中央公論新社.2002 (中央公論社.1985)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2002/04/204004.html

新潮文庫の『新版 國語元年』を読んで、中公文庫版の方も確認しておきたくなって読んでみた。再読である。

確認してみるならば、『國語元年』は、もともとNHKのテレビドラマ。この放送は私は見た記憶がある。中公文庫版にはいつの放送とは書いていないのだが、新潮文庫『新版 國語元年』の解説(岡島昭浩)によると、1985年の放送とある。その年(1985)に、中央公論社から、「日本語を生きる」(日本語の世界10)として刊行。その後、中公文庫版になっている(2002)。

一方、テレビドラマの後で、井上ひさしが、舞台にかけている。その脚本として書いたもの(戯曲)が、『新版 國語元年』の方になる。

前後関係を確認しておくならば、もとはテレビドラマの方が先にあって、舞台版が後からということである。

物語の大きな筋道は基本的に同じ。だが、違いがある。二点に絞ってみる。

第一は、舞台版では、写真が大きな役割をもっていることである。作中で、何度も、一家の記念写真を写そうとして、その都度、何かの事情で失敗することになる。そして、その失敗写真が、舞台演出上でも意味のあるものとしてつかわれている。

これは、テレビドラマ版でもでてくる。いよいよ「全国統一話し言葉」を策定するとなって、南郷清之輔は一家の記念写真をとろうとする。しかし、これは、ドラマのなかでそう大きな意味があるとは思えない。だが、次のような台詞がある。

「清之輔 それなら、日本の話し言葉、すなわち全国統一話し言葉は、維新の大業を忠実に写しておらにゃなりませんがノー。写真のように忠実にノー。」(中公文庫.p.211)

ここをふまえて考えるならば、舞台版における写真を撮るこころみと、その度重なる失敗は、「全国統一話し言葉」の制定の困難さと挫折を表象しているものと理解できるだろう。なお、写真については、新潮文庫版『新版 國語元年』の解説(岡島昭浩)に、同様の言及がある。

第二は、すでに書いたことが、唱歌である。テレビドラマ版にも歌は出てくる。だが、その歌は、地方の方言を反映したもの、それを代表するものとしてである。民謡(鹿児島おはら節)を歌うシーンがあるが、それは、その歌に郷愁を感じるというものではなく、地方ごとに方言があってことばが異なっていることを表すものとして歌われる。

だが、舞台版(『新版 國語元年』)では、唱歌が随所に登場する。これは、逆に、日本語の原風景を表象するものとして出てくる。文語(口語、話し言葉ではない)の唱歌が、日本語共同体の郷愁を表すものとして、舞台ではあつかわれている。

以上の二点が、テレビドラマ版と舞台版とで異なっている点になる。これは、ただ、テレビドラマを舞台にするということで、演出上の都合でそうなったということではないであろう。井上ひさしの「全国統一話し言葉」に対する考え方の反映と見るべきである。

舞台で、写真撮影がことごとく失敗するように、まだ明治7年の段階で、「全国統一話し言葉」は無理であった。まだ、言文一致の動きが始まる前の段階である。

しかし、文語体の唱歌であるならば、登場人物全員が、それぞれの方言は異なっているとしても、共有できる、いわば言語共同体の原風景のようにたちあらわれる。これは、ただ、口語ではなく文語であれば共有できるということではなく、日本語には統一された基本的な様式があり得るのであるということを語っているのだと思う。

それは、テレビドラマ版のつぎのような部分を敷衍したところにあると考える。

「清之輔 ひとつの国にひとつの言葉、それがこの南郷の理想ス。」(中公文庫.p.295)

その「ひとつの言葉」の受け皿になるのが、古代・中世から連綿として続いてきた日本語の歴史であり、それを体現しているのが文語体の唱歌、ということで理解してよいのではないか。

無論、この作品は、簡単に「全国統一はなし言葉」が実現することを描いたものではない。むしろ逆に、その難しさ、さらには、全国各地の方言の多様性と、それによって生活している人びとの暮らしへのまなざし、これを感じることができる。一方的に、国家権力によって、制定されるべきということではない。

さらに述べるならば、文語体の唱歌も、明治になってから、〈発明〉したものにほかならない。近代的な国民国家、日本として、その共同体を表象するものとしての文語体の唱歌である。これは、今日、21世紀だから、このように言い切ることができる。だが、井上ひさしが、このドラマを書いた1980年代ではどうだったであろうか。昨今のカルチュラル・スタディーズが、流行する前のことになる。

舞台版『國語元年』の唱歌のもつ意味は、その書かれた時代背景のもとに、再考察されるべきであろう。

追記 2018-01-02
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月2日
『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)その二
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/02/8760296

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