これから読みたい本のことなど2018-01-01

2018-01-01 當山日出夫(とうやまひでお)

謹賀新年。

今年(2018)に読みたい本のことなど、いささか。

中公文庫で、『城下の人』シリーズの新装版がでている。これは、旧版で出版されているのは知っていたが、なんとなく読みそびれたままになっていた本。このシリーズを、きちんと読んでおきたい。

石光真清(著).石光真人(編).『城下の人』(中公文庫).2017
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206481.html

それから、同じ中公文庫で、辻邦生の『背教者ユリアヌス』が刊行である。これは、最初、単行本が出たときに買って読んだ。たしか、高校生のころだったろうか。辻邦生をよく読んだ。去年は『西行花伝』を再読したりもした。この新版の『背教者ユリアヌス』は、読んでおきたい作品である。

辻邦生.『背教者ユリアヌス』(中公文庫).中央公論新社.2017
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/12/206498.html

一昨年から刊行の「定本漱石全集」(岩波書店)、これも順番に買っている。読むのは、多少前後することがあるのだが、とにかく、これまで刊行された主な小説類は読んだ。このシリーズも、今年もひきつづいて買って順次読んでいくことにしようとおもっている。

今年は、明治150年である。NHKの大河ドラマでは、西郷隆盛をやる。たぶん、西郷隆盛関係、さらには、幕末・明治維新関係の本がいろいろでるだろう。これも、気のついた本は読んでいくつもりである。自分が生きている時代……「近代」という時代……が、どのようなものであるのか、自分なりに考えてみたい。

去年の終わりごろから、詩の本など読むようになった。そのことについては、昨日書いた。

やまもも書斎記 2017年12月31日
今年読んだ本のことなど
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758573

広義の「文学」……小説などに限らず、歴史や、宗教、思想、哲学といった人文系の書物をこういっておくが……を、味わうとき、根底にあるのは、それをよむときに〈詩〉を感じるかどうかだと思うようになってきた。自分で、詩作とか、俳句、短歌などこころみようとはまったく思わないのだが、それでも、読んでそれに何かしら感じる心をもっておきたいと思う。

冬休みの自分の「宿題」にして読もうとおもっているのが、ドストエフスキー。還暦をすぎて二年たっている。もう若くはない。だが、若い時に読んだのとはまた違った印象で、ドストエフスキーの作品に接することはできる。世界文学の名作、特に近代小説の作品を、これからできるだけ読んでいこうと思う。

これからどれだけ読めるかわからないが、近代の小説……たとえば、去年読んだ作家では、ゾラ、モーパッサン、チェーホフなど、まさに「近代」を描いた作家たち……を読んでいると、まさに自分が「近代」という時代の中にいきてきたことを、つくづくと感じる。私が生きてきた時代、「近代」という時代について、考えていきたいと思う次第である。

『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)その二2018-01-02

2018-01-02 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2017年12月30日
『國語元年』井上ひさし(中公文庫版)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/30/8757864

井上ひさし.『國語元年』(中公文庫).中央公論新社.2002 (中央公論社.1985)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2002/04/204004.html

この作品には、日本のいろんな地方の登場人物が出てくる。主人公の南郷清之輔は、長州のことば。その岳父と妻は、薩摩のことば。浪人の元武士の若林虎三郎は、会津のことば。このテレビドラマ版の語り手(ふみ)は、山形のことば、などである。

私がこのテレビを見ていた時の記憶として、毎回、冒頭に、ふみ(石田えり)の手紙が語られていた。そのはじまりは、きまって「オドチャに、カガチャ」ではじまっていたのを覚えている。今日の標準的な日本語で、文字をあてるなら、この箇所、井上ひさしは、「父上様、母上様」としている。

ところで、中公文庫版(テレビドラマ版)を読んで、次のようなことに気付く。それは、この作品は、各地の方言と、今日の標準的な日本語の、パラレルテキストになっていることである。本文(本行)は、普通の日本語。それにルビとして、その話者の方言が付してある。

では、すべての登場人物の台詞にルビがついているかというと、そうでもない。ルビのついていない登場人物がいる。女中頭の加津である。テレビドラマでは、山岡久乃が演じていたのを覚えている。

この加津は、幕臣の奥様であったという設定。維新の後、女中奉公をしていたのだが、このドラマでは、南郷清之輔の住まいする屋敷に奉公することになっている。加津のことばは、本山の手ことば、ということになる。

加津の台詞には、ルビがない。

それから、江戸下町ことばの、たねとちよの台詞にも、基本的にルビがついていない。(ところどころについている程度である。)

つまり、山の手の奥様のことばや、下町のかみさんのことばには、ルビがないのである。

また、このドラマでは、各地の方言を話す人びとどうしで話しが通じないという場面が多く描かれる。しかし、加津のことば(本山の手ことば)は、みんな理解しているようである。

ドラマの最初は、山形から出てきたふみが、始めてお屋敷に入るところからはじまる。そのとき、加津と対面するのであるが、加津はふみの山形のことばが聞き取れないで苦労する。しかし、ふみの方は、加津の話していることばを、聞き取れている。

このようなところをみるならば、結果的に次のようにいえるだろう。それは、今日の標準的な日本語の話しことばが、東京のことばを元にしてできあがっている、ということである。

この『國語元年』は、方言の多様性を尊重すべきという立場である。しかし、多様な方言のなかにあって、今日の標準的な日本語として生き残っている、あるいは、その基礎をなしているのは、江戸から東京にかけてのことばであることになる。

つまり、「全国統一話し言葉」を制定しようという苦労の物語であるが、読んでみると、結局は、首都である東京のことばが基本になったということを、裏付けることになってしまっている。

ただ、厳密にいえば、東京方言=標準語、ではない(国語学、日本語学の知見として)。そうはいっても、『國語元年』で描き出そうとしたような、多様な方言のなかにあって、江戸・東京のことばが、標準的な日本語の基層をなしていることは、否定できないことになる。

学問的な課題としては、ではどのようなプロセスを経て、東京のことばを基本にして、標準的な日本語が形成されてきたのか、ということになる。この点については、新潮文庫版『新版 國語元年』の解説(岡島昭浩)が、非常に参考になる。中公文庫版(テレビドラマ)と新潮文庫版(舞台)の違いも重要であるが、国語学・日本語学の観点からの解説としては、新潮文庫版が重要である。

お正月2018-01-03

2018-01-03 當山日出夫(とうやまひでお)

今年も水曜日は写真の日にするつもり。今日は、花ではなく門松など、お正月の品々。身の周りのものを写してみた。

去年までと違うのは、写真をカメラまかせではなく、RAW現像処理したものであること。ただ、このブログに掲載のためにサイズを小さくはしてある。サイズの変更には、IrfanView64をつかっている。

RAW現像は、Nikonの Capture NX-D である。これは、無料でNikonのHPから手にはいる。まあ、このソフトは、Nikonのユーザでなければ、あっても意味のないものであるから、無料でもいいのだろう。

RAW現像といっても、そんなに凝ったことはしていない。主にホワイトバランスの調整である。特に、鏡餅の写真などは、室内なので蛍光灯照明。ホワイトバランスを調整しないと、イメージしている色にならない。色の調整はむずかしい。この場合、すこし蛍光灯照明の色合いを残すような感じにしてみた。

冬で花にとぼしい季節である。が、身の周りの自然の景物など、写真にとっていきたいと思っている。

門松

鏡餅

注連縄

Nikon D7500
AF-S DX NIKKOR 16-80mm f/2.8-4E ED VR
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

NHK『美子伝説』2018-01-04

2018-01-04 當山日出夫(とうやまひでお)

2日の夜の放送。録画を3日の昼間に見て文章を書いている。

時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/93016/3016039/index.html

NHKがお正月番組として、ちからをいれてつくった放送だと思う。面白かった。思ったことを言えば、明治宮廷版「坂の上の雲」というところか。

そういえば、『坂の上の雲』の小説(司馬遼太郎)には、明治天皇はほとんど登場していなかったように覚えている。NHKドラマの『坂の上の雲』には、明治天皇が登場していた。明治宮殿のシーンがかなりあった。しかし、その皇后、美子(はるこ)については、登場していなかった。

思ったことなど、いさかか。次の三点について書いてみる。

第一に、美子皇后の開明性。

明治になって近代日本がスタートした。まあ、これは、常識的な知識。近代というものを、明治以前、近世期にその萌芽を見いだす歴史観もあることは承知している。

やまもも書斎記 2017年11月24日
『「維新革命」への道』苅部直
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/24/8733452

明治なって、立憲君主国の建設を目指す日本にとって、皇室の近代化というのは、喫緊の課題であった。その課題に、堂々とこたえたのが、明治天皇よりもむしろ、美子皇后であった、ということになる。たとえば、美子皇后が、洋装でメディア(写真)に現れたことのインパクトの大きさが、描かれていた。

あるいは、(近代の)皇室というのは、明治になってからの日本の「発明」であるともいえる。立憲君主国としての明治国家は、このようにとらえることもできる。明治になって新しい皇室がもとめられたとき、それまで千年以上の間、京都にいた、皇室はどうしたのか。

明治天皇は、「攘夷」の人。外国人嫌い。それに対して、美子皇后は、「文明開化」の人、といえようか。えてして、明治天皇というと、日清・日露の戦いを指導した武勇のイメージがつよい。しかし、それは、明治政府が、意図的に創り出した近代国家、明治国家にふさわしいとされる天皇像であったことになる。

第二に、天皇と皇后が、日本における家庭、夫婦を象徴するものであること。

明治天皇と美子皇后が、馬車に同乗して一般の人びとの前にすがたを表したというのは、画期的なことだったらしい。その姿を描いた錦絵に当時の人びとは驚いたという。

天皇家のあり方というのは、その時代の一般の国民の、家庭・家族についての考え方を反映している。あくまでも一家の家長としての威厳を保ち外で仕事をする天皇。それに対して、内向きのことに専念するという立場の皇后。そのイメージの原型とでもいうべきものが、明治天皇と美子皇后にある。

また、皇后には子供ができず、跡継ぎの子供は、側室の子であるというのも、明治ならではことであろう。その子供も多くは夭折している。これも、昔のはなしである。

ちなみに、大正天皇の生母、柳原愛子と、柳原白蓮(歌人)が姻戚関係にあったことについては、この番組を見て始めて知った。

ともあれ、天皇家のあり方が、一般の国民の家族観、夫婦観にかかわっていることは、昭和の時代、そして、今の平成の時代になっても、そのようなものとしてあることは、実感されるところである。大正天皇の結婚式は、近代的な結婚のモデルとなるものであったし、また、今上天皇の結婚は、まさに戦後の自由な恋愛を象徴するものでもあった。(内実、どのようにことがはこばれたかは別の問題として。)

第三に、歌。

明治天皇が歌をたくさん詠んでいたことは知っていた。が、美子皇后も歌を詠んでいる。

そういえば、むかし角川文庫で、明治天皇と昭憲皇太后の歌集が出ていたはずであるが、今は、どうなのだろうと思う。(ちょっと見てみると、今では、もう売っていないようだ。私の記憶では、明治神宮に参拝に行ったとき、売店で角川文庫本を売っていたのを覚えている。)

天皇あるいは皇后の歌は、狭義の歌、文学としてどうこう言うべきものではない。その立場(天皇であり皇后でありという)から、国と国民を思って、その思いを述べるものであると考えている。(このあたりは、昔、学生のころにならった、池田彌三郎先生などの考えていたことである。)

明治天皇は、日常的に歌を詠んでいた。このことについては、かなり以前に書いたことがある。米窪明美の本も、番組では資料として使われていた。

やまもも書斎記 2016年5月29日
米窪明美『明治天皇の一日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/05/29/8097931

やまもも書斎記 2016年6月13日
米窪明美『明治宮殿のさんざめき』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/06/13/8110191

以上の三点が、テレビ(録画)を見ながら思ったことなどである。

それにしても、美子皇后(昭憲皇太后)の『昭憲皇太后実録』が刊行になったのが、近年のこと(2014)とは、改めて驚く。近代の皇室、天皇の歴史は、これからの研究課題である。

昭憲皇太后実録

原武史の『皇后考』(講談社学術文庫)は買ってある。これも読まなければと思った次第。それから、ドナルド・キーンの『明治天皇』も読もうと思ってまだ読めていない。これも読んでおきたい本の一つになる。

明治150年の今年、明治という時代を考えて本を読んでいきたい。「美子伝説」は、明治150年という年の初めにふさわしい番組であったと思う。

『武揚伝 決定版』(下)佐々木譲2018-01-05

2018-01-05 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
『武揚伝 決定版』(中)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/25/8754718

佐々木譲.『武揚伝 決定版』(下)(中公文庫).中央公論新社.2017(中央公論新社.2015)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206490.html

去年のうちに読み終わるつもりだったのだが、年を越してしまった。下巻まで読んで思ったことなどいささか。

下巻では、戊辰戦争。奥羽越列藩同盟の戦い、それから、函館での戦いが描かれる。

ポイントは、次の二点かと思う。

第一には、負けた側から見た歴史であること。

我々は、歴史の結果を知っている。戊辰戦争で、旧幕府側はやぶれる。だが、ひょっとしたら勝てたかもしれない。あるいは、負けることなく、日本は別の道を選ぶことになったかもしれない、そのような展開である。これは、基本的に、幕臣である榎本武揚の視点で描くということからもくるであろう。

もし、開陽丸をもっとうまく運用していたら、あるいは、(歴史的な事実としては、開陽丸は戦線から脱落することになるのだが)、もし、開陽丸が無事にもちこたえていたら……日本の歴史は大きく変わっていたものになる可能性がある。

今日の歴史観では、幕府軍は負けるべくして負けたということになるだろう。歴史とは、勝った側が書くものであるから。だが、明治維新から一世紀半が経過した。負けた側からの歴史があってもよい。この意味では、この『武揚伝』は意味のある小説である。さらに書けば、先年放送された『八重の桜』(NHK、大河ドラマ)も、負けた側から見た歴史ドラマであった。

第二には、ひょっとしたらという歴史の可能性として、「エゾ共和国」というものが、現実的に描かれていることである。

この作品には、私の読んで覚えている限りでは、「北海道」という用語はつかっていない。基本的に「蝦夷ガ島」である。また、「明治政府」もつかっていない。「京都政権」である。

「北海道」を日本国の領土に組み込んだのが「明治政府」であるならば、それ以前の時点において、「エゾ共和国」として、自由と平等の共和国を夢みる可能性があった。

以上の二点が、下巻を読んで印象にのこっているところである。上・中・下の三巻を読んでのまとめて思うことなどは、改めて書いてみたい。

中島みゆきにおける挫折した人生2018-01-06

2018-01-06 當山日出夫(とうやまひでお)

私のWalkmanとiPodには、中島みゆきのCDは全部はいっている。ほぼ毎日のように聞いているといってよい。中島みゆきの歌については、いろいろ言うことができるだろう。

いくつか分析する切り口があると思うが、ここで書いてみたいのは、「挫折した人生」という観点である。(すでに、どこかでだれかが書いていることかもしれないが。)

最新のアルバム『相聞』にある「慕情」。非常に抒情的な作品である。この歌をきいて、また、同じアルバムにある「小春日和」をきいて、中島みゆきは、現代におけるすぐれた叙情歌人であると思う。

が、それとは別に、「慕情」では次のような歌詞である。

「もいちどはじめから もしもあなたと歩きだせるなら/もいちどはじめから あなたに尽くしたい」

http://j-lyric.net/artist/a000701/l041eed.html

ここで歌われているのは、「挫折した人生」を悔悟する心情である。同じアルバムの「小春日和」もまた同様に、かつての人生を振り返って、なにがしかの後悔の念をいだいている心情をうたっている。

このような人生の「挫折」というような心情は、初期の中島みゆきにすでに見られる。たとえば、「おまえの家」などは、ミュージシャンとして生きていくことに「挫折」した友達を訪問している。また、「永遠の嘘をついてくれ」もまた、「挫折」して日本を離れてしまった友……それは、今、ニューヨークにいるのかもしれないし、上海にいるのかもしれない……に呼びかける歌である。

中島みゆきは、失恋ソングの歌手というイメージがつよい。だが、視点を変えてみるならば、失恋もまた、ある意味で人生の「挫折」である。

そして、場合によるとその人生の「挫折」はきわめて政治的なメッセージをともなうこともある。「パラダイス・カフェ」に出てくる「カレンダー」は、なぜ「60年」なのだろうか。1960年といえば、安保闘争の年である。そして、この事件もまた、日本社会の大きな「挫折」であるともいえる。

また、「パラダイス・カフェ」の「永遠の嘘をついてくれ」も「阿檀の木の下で」も、ほとんどプロテストソングと言ってもいいかもしれない。

このような理解は、かなり強引であるかもしれない。だが、中島みゆきの歌の多くが、「挫折」した人生、過去をふりかえり、共感し、そしてそれを、非常に抒情的に歌っている。私は、中島みゆきの歌に、「挫折した人生」「挫折した過去」を抒情的なそして暖かなこころで振り返って歌う、歌人の姿を見る。挫折した人生をもつものへのやわらかなまなざしがあると感じる。

「挫折した人生」によりそう歌として、印象にのこるのは「風にならないか」である。このような歌の聴き方は、あまりに文学的であろうか。

『わろてんか』あれこれ「みんなの夢」2018-01-07

2018-01-07 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第14週「みんなの夢」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/14.html

前回は、
やまもも書斎記 2017年12月29日
『わろてんか』あれこれ「エッサッサ乙女組」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/29/8757063

この週は、安来節の公演が成功するまでの話し。

見ていて思ったことなど、いささか。

第一に、安来節の踊りを踊るとき、踊り手の女性たちは、着物のすそをたくしあげて足を出しておどっていた。ナレーションの解説によると、これは、その当時としては、かなり破天荒で大胆な姿だったらしい。

それはいいとしても、このアイデアは、元々の安来節の踊りがそうであるから、ということになっていた。このあたりの舞台での演出は、てっきりリリコからのアドバイスによるものかなと予想していたのだが、そうではなかった。

ともあれ、安来節がその当時流行した背景というか、理由について、もうちょっと説明的な描写があってもよかったように思うが、どうだろうか。

第二に、演奏である。練習のときは、レコードをつかっていた。その当時(大正時代)だから、SPレコードになるのだろう。これは、今では、国立国会図書館のデジタル資料「歴音」(歴史的音源)で聞ける。

インターネット公開されているものとしても、安来節の音を聞くことができる。

http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1318215

これは、1929年(昭和4年)のものである。

この当時のレコードの、音質、音量、録音時間などを考えると、舞台での公演につかうのは、どうだろうかと思っていた。

それが、本番の公演の時になると、生演奏になっていた。これは、どうかなと思う。安来にまで行って、人を探してくるとするのならば、踊り手だけではなく、歌い手も探してくるのでなければならないだろう。歌い手は、大阪の人間で間に合うということではなかったろうと思う。ここは、安来節の公演にあたって、歌い手たちと踊り手たちとの人間関係模様などを取り込んだ脚本の期待されたところである。

以上の二点が、安来節の公演について、思ったことなどである。

そして、登場人物のそれぞれがこれから「夢」を語って終わっていた。新春の週にふさわしい内容だったと思う。

次週は、関東大震災などのことが出てくるようだ。寄席の経営者としてのてんの判断もとわれる場面も出てくるのかもしれない。期待して見ることにしよう。

追記 2018-01-14
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月14日
『わろてんか』あれこれ「泣いたらあかん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/14/8769327

初老の読書2018-01-08

2018-01-08 當山日出夫(とうやまひでお)

ほぼ一年前に、Facebookに次のような文章を書いていた。ここに再掲載する。

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どうやら、世の中、75歳をすぎないと「老人」の仲間にいれてもらえないらしい。

ところで、「初老」ということば、何歳からか……40歳からである。とはいえ、これは昔の話し。単純に20年ほど足すならば、60歳で「初老」といってもいいだろう。ならば、私は、確実に「初老」である。「老人」の仲間入りをしてもいいだろう。

「老人」には「老人」の特権がある。それは、若い時にもどれること。若い時にできなかった趣味とか、再度チャレンジできることである。本を読んでいきたいと思う。写真もとってみたい。これまで、仕事でできなかったことに時間をつかいたい。

このような生き方もあってよいであろう。
幸い、家の仕事は、子供がやってくれるようになった。もう、「隠居」である。

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さて、このような文章を書いてから、一年どのようであったろうか。

仕事は整理することにした。それまで二校行っていた非常勤講師の仕事を一つに減らした。時間のできた分、読書にあてるようになった。読んで来たのは、主に、近代の小説……古典的な名作、名著……である。今まで読んで来なかった本をきちんと読んでおきたいと思った。その読んだ本のいくつかについては、このブログに書いてきた。

ブログに書いた本は、読んだ本(専門書などをふくめてであるが)の、半分ぐらいになるだろうか。あまり専門的な本(国語学関係)は、取り上げないようにしてきた。

それから、NHKの朝ドラと大河ドラマの感想など。別に、特に面白いと思って見ているというのでもない。毎日、毎週の習慣のようにして見ている。そして、思ったこと、疑問点など、書き綴ってきた。

文章に書くということを前提にドラマを見ていると、それなりに、いろんなことを考える。また、関連する本を読んだりもする。

今年の大河ドラマは、『西郷どん』である。そして、今年は、明治150年である。近代、幕末、明治維新ということを話題にしていろんな本が出ることだろうと思う。

これに関連して、読んでおきたいと思って積んだままになっている本としては……『天皇の世紀』(大佛次郎)、それから『遠い崖』(萩原延壽)がある。どちらも、かなり大部な本になる。が、これらの本を今年こそは読み通しておきたい。明治という時代、そして、近代という時代について、考えてみたい。

若い時に本を読むのとちがって、老年になったらなったで、それなりの読書の楽しみがある。論文を書くとかということから離れて、純然と自分の楽しみ、思索のための読書という時間をつかいたいと思うようになってきた。

今、読んでいるのは、『明治天皇』(ドナルド・キーン、新潮文庫)。それから、『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー、光文社古典新訳文庫)。

『西郷どん』あれこれ「薩摩のやっせんぼ」2018-01-09

2018-01-09 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年1月7日、第1回「薩摩のやっせんぼ」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/01/

今年のNHKの大河ドラマは西郷隆盛が主人公。『西郷どん』である。これも、去年の『おんな城主直虎』に引き続き見ることにしようと思う。

去年の『おんな城主直虎』が、資料にとぼしい人物を主人公にして……本当に直虎が女性であったのかも不明……歴史のドラマを描いていたのに対して、今年は西郷隆盛という、超有名な人物。エピソード、資料が、かなり残っている。そのなかで、どのようなドラマを描き出すか、興味深いところである。

冒頭の始まりは、上野の西郷隆盛の銅像の除幕式から。ここで、西郷の未亡人が、「西郷は、あんな人ではなかった」と発言したのは、有名な話しだと思う。ここの場面を最初にもってきたということは、今回の西郷隆盛の脚本は、かなり大胆に「歴史」にきりこんでいくのかと予感させる。

脚本は、中園ミホである。NHKでは、朝ドラ『花子とアン』の脚本を書いている(これは、今、BSで再放送している。)『花子とアン』を見ていると、史実としての村岡花子の生涯を、かなり大胆に改変している。この大胆さが、中園ミホ脚本の面白さということになるのかもしれない。(ちなみに、『花子とアン』にも、西郷役となる鈴木亮平が出ている。)

この意味では、史実かどうか史料がない、西郷隆盛の幼年の時のエピソードとして、島津斉彬との対面シーンを設定したのは、興味深い。たぶん、これからも、史料からはなれて、大胆な筋立てで、西郷隆盛という人物を描くことになるのだろう。

それにしても、第1回の最初から、島津斉彬との対面シーンがあったのには、すこし驚いた。

その島津斉彬であるが、話していることばは、江戸語であった。まあ、これは、江戸藩邸で生まれ育ったということなのだから、そうでもいいかもしれない。それに対して、父親(斉興)、弟(久光)は、薩摩ことばであった。

このあたり、江戸にいて最新の世界の情勢を見ている斉彬の開明性と、薩摩という地方にいて封建領主(大名)の立場にいる、斉興、久光の、封建的頑迷さとの対比の演出ともとれる。

登場人物にどのようなことばを話させるかは、かなり意図的に選んでいると思う。(実際に、その人物たちがどのようなことばを話していたかということとは別にして。)

興味深かったのは、菓子をつつんであった紙、世界地図に出てきた、鹿児島のローマ字綴り。私の見た記憶では、

Cangoxina

とあったように覚えている。キリシタン時代のローマ字綴りに似ている。このあたり、Facebookで書いてみたら、いろいろコメントをもらった。何によったかは、時代考証としてさだかではないにしても、このようなローマ字綴りはかつてあったらしい。

もうちょっと時代が新しくなれば(明治以降になれば)、ヘボン式でもいいのかもしれないが、まだ、江戸時代、鎖国の時代である。

そのような時代にあって、世界のなかにおける、日本、そして、鹿児島……それは、世界の片隅の小さな島の、その一地方である……という視点からドラマを始めるというのは、これはこれで、面白い着眼点である。

ところで、私は、鹿児島には、かつて、1~2回ほど行ったことがあるかと覚えている。城山にものもぼった。私学校跡にも行ってみたりした。そして、強く印象にのこっているのは、普段の日であったにかかわらず、西郷隆盛のゆかりの場所など、きれいに掃き清められて、花が供えてあったことである。たぶん、だれか有志のひとがやっているのだろう。

西郷が死んで、100年以上になる。それでもなお、西郷隆盛という人は、地元の鹿児島の人びとから、敬愛の気持ちで慕われていることが実感できた。西郷隆盛は、いまだなお、日本の歴史のなかに、人びとの心のなかに、いきつづけている人物である。

これから、ドラマを見ながら、幕末、明治維新関係の本など、読んでいきたいと思っている。今、読んでいるのは『明治天皇』(ドナルド・キーン、新潮文庫版)。

追記 2018-01-16
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月16日
『西郷どん』あれこれ「立派なお侍」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/16/8770601

NHK『平成細雪』第一話2018-01-10

2018-01-10 當山日出夫(とうやまひでお)

いつも水曜日は花の写真の日なのであるが、ちょっと変則的に『平成細雪』にする。(花は明日の予定)。日曜日の夜の放送なので、見てから(録画)文章を書くと、今日ぐらいになる。日曜日は、大河ドラマ『西郷どん』もあるので順番に書いていくと今日になる。

平成細雪
http://www4.nhk.or.jp/P4696/

『平成細雪』であるが……まず、確認しておかなければならないのは、谷崎潤一郎の著作権がすでにきれていることが、この番組の背景にあるだろうということ。谷崎潤一郎は、1965年に亡くなっている。保護期間が満了している。その作品はすでにPDである。自由に使うことができる。たぶん、このことがなければ、NHKは『細雪』(谷崎潤一郎)を原作にして、『平成細雪』を制作することはなかったろう。

『細雪』については、すでにこのブログで去年とりあげて書いている。

やまもも書斎記 2017年2月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499

NHKのドラマであるが、原作『細雪』(谷崎潤一郎)を読んでいれば、なおのこと楽しめる。が、読んでいなくても、それなりにドラマの世界にはいっていけるように作ってある。

NHKの番組HPを見て気付いたこと、それは、このような文言があることである。

「失うほど、彼女たちは、華になる。」

以前、このブログに『細雪』について書いたとき、角川文庫版の解説(内田樹)について言及しておいた。それをもう一度確認しておきたい。

「『細雪』は喪失と哀惜の物語である。指の間から美しいものすべてがこぼれてゆくときの、指の感覚を精緻に記述した物語である。だからこそ『細雪』には世界性を獲得するチャンスがあった。」(pp.298-299)

「「存在するもの」は、それを所有している人と所有していない人をはっきりと差別化する。だが、「所有しないもの」は「かつてそれを所有していたが、失った」という人と、「ついに所有することができなかった」人を〈喪失感においては差別しない〉。谷崎潤一郎の世界性はそこにあるのだと私は思う。」(p.300) 〈 〉内、原文傍点

このドラマのHPの文言は、内田樹の解説をなぞっているかのごとくである。喪失と哀惜の物語として、『平成細雪』を作ったと理解される。そして、そのドラマは、まさしく現代……もう「平成」という時代(元号)の終わりが日程にのぼっているとき……になって、かつての時代……それを今では「バブル」ともいう……の栄華に、思いをよせている。

原作『細雪』も、失ったものへの哀惜の物語であった。その時代的背景としてあるのは、昭和初期の不況、日中戦争、太平洋戦争、である。NHK『平成細雪』の背景にあるものは、かつての高度経済成長からバブル景気を経ての、日本経済の崩壊と疲弊である。ドラマは、蒔岡の会社の破綻からスタートしていた。時代設定は、平成4(1992)年であった。まさに、バブル崩壊の時期に設定してある。

失ってしまったものこそ美しい。その哀惜の美学とでもいうようなものを、主演の四人の女優がみごとに演じていた。そして、それぞれの役柄の個性がいかんなく発揮されていた。

『細雪』の映像化というと、どうしても私などは市川崑監督の映画を思い出してしまう。吉永小百合が雪子を演じていた。そのイメージがあったのだが、NHKドラマでは、伊藤歩が、もし雪子のような女性が本当にいたならさもあらんという雰囲気を出していた。これはよかった。

雪子の性格というか人物造形は、今の時代にしてはどこか浮世離れしている。だが、それを、リアルに、そして、いくぶんの滑稽さを感じさせるように演じていた。ドラマの中の人物とはいえ魅力的であった。ひょっとすると、今でも、芦屋あたりには、このようなお嬢様がいるのかもしれないと思わせたりもする。

ところで、『平成細雪』には、花見とか蛍狩りのシーンはあるのだろうか。冬の放送だから、撮影したのは、去年の秋ごろだろう。とすると、桜の花のシーズンではない。蛍狩りも無理かもしれない。しかし、ここは、桜のシーンが是非ともあってほしいと思うのだが、どうだろうか。

蒔岡の四人姉妹が並んで歩くシーン。このロケ地は、私の記憶にある風景としては、宇治の興聖寺だと感じたのだが、これはどうなのだろうか。

なお、ちょっと気になったこととしては、写真をとるシーン。室内でのスナップ撮影であったが、フィルムカメラであったとおぼしい。たぶん、使っていたのはライカか。この時代(平成5年)には、まだデジタルカメラの時代ではない。今日なら、高感度で室内でもフラッシュ無しで撮影もできる。しかし、その時代のフィルムであれば、室内では、フラッシュは必要である。このあたり、ちょっと違和感を感じた。

次週も楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-01-17
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月17日
NHK『平成細雪』第二話
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/17/8771057