『武揚伝 決定版』(下)佐々木譲2018-01-05

2018-01-05 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
『武揚伝 決定版』(中)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/25/8754718

佐々木譲.『武揚伝 決定版』(下)(中公文庫).中央公論新社.2017(中央公論新社.2015)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206490.html

去年のうちに読み終わるつもりだったのだが、年を越してしまった。下巻まで読んで思ったことなどいささか。

下巻では、戊辰戦争。奥羽越列藩同盟の戦い、それから、函館での戦いが描かれる。

ポイントは、次の二点かと思う。

第一には、負けた側から見た歴史であること。

我々は、歴史の結果を知っている。戊辰戦争で、旧幕府側はやぶれる。だが、ひょっとしたら勝てたかもしれない。あるいは、負けることなく、日本は別の道を選ぶことになったかもしれない、そのような展開である。これは、基本的に、幕臣である榎本武揚の視点で描くということからもくるであろう。

もし、開陽丸をもっとうまく運用していたら、あるいは、(歴史的な事実としては、開陽丸は戦線から脱落することになるのだが)、もし、開陽丸が無事にもちこたえていたら……日本の歴史は大きく変わっていたものになる可能性がある。

今日の歴史観では、幕府軍は負けるべくして負けたということになるだろう。歴史とは、勝った側が書くものであるから。だが、明治維新から一世紀半が経過した。負けた側からの歴史があってもよい。この意味では、この『武揚伝』は意味のある小説である。さらに書けば、先年放送された『八重の桜』(NHK、大河ドラマ)も、負けた側から見た歴史ドラマであった。

第二には、ひょっとしたらという歴史の可能性として、「エゾ共和国」というものが、現実的に描かれていることである。

この作品には、私の読んで覚えている限りでは、「北海道」という用語はつかっていない。基本的に「蝦夷ガ島」である。また、「明治政府」もつかっていない。「京都政権」である。

「北海道」を日本国の領土に組み込んだのが「明治政府」であるならば、それ以前の時点において、「エゾ共和国」として、自由と平等の共和国を夢みる可能性があった。

以上の二点が、下巻を読んで印象にのこっているところである。上・中・下の三巻を読んでのまとめて思うことなどは、改めて書いてみたい。