『武揚伝 決定版』佐々木譲2018-01-12

2018-01-12 當山日出夫(とうやまひでお)

佐々木譲.『武揚伝 決定版』(上・中・下)(中公文庫).中央公論新社.2017 (中央公論新社.2015)

http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206488.html

http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206489.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2017/11/206490.html

やまもも書斎記 2017年12月21日
『武揚伝 決定版』(上)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/21/8752206

やまもも書斎記 2017年12月25日
『武揚伝 決定版』(中)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/12/25/8754718

やまもも書斎記 2018年1月5日
『武揚伝 決定版』(下)佐々木譲
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/05/8762607

三巻を読み終わってのまとめて思ったことなど、いささか。三点ほど書いてみる。

第一に、万国公法である。今日でいう国際法、これにのっとるかたちで、榎本武揚はたたかっている。交戦団体としての、外国にみとめられる存在であること。言い換えるならば、(このような表現はこの小説では言っていないが)ゲリラではない、ということである。京都の政権に対して、奥羽越列藩同盟は独立した主権をもつものとして、あつかわれている。

そのため、その当時の列強諸外国も、戊辰戦争については、局外中立の立場をとった。そのことを背景にして、榎本武揚の戦いもあった。

戊辰戦争という内戦を、国際的な視点から見る、ということになる。もし、戊辰戦争のとき、イギリスやフランスなどが、それに乗じて内戦に加わっていたならば、日本の明治維新はなかったかもしれない。それを避けたという意味においても、武揚の戦い方の意義があったことになる。

この小説を読んで感じたことであるが……独立した組織であり、かつ、武力をそなえているならば、それは、国際法上の独立国とみなしうる……これは、『沈黙の艦隊』の論理である。さもありなん、下巻の解説(忍澤勉)で、このことに言及してあった。

第二に、自由と平等の共和国である。榎本武揚は、蝦夷ヶ島(後の北海道になる)に、京都政権とは独立した自治の国を建設しようとした。それは、自由と平等を基本理念とする、共和制の国である。

これは、その後、明治維新の後の日本……立憲君主制による中央集権国家の樹立……と対比して見るとき、あり得たかも知れない、日本の近代のもうひとつの姿ということになる。明治維新後の日本の国家の歩みを相対化して見る視点がここにはある。

第三に、この小説は戊辰戦争までで終わっている。だが、榎本武揚は、その後、明治政府のもとでも活躍している。開拓使出仕、ロシア駐在全権大使、清国駐在全権大使、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣、などを歴任している(下巻、p.526)

このことについて、著者(佐々木譲)は次のように記している。

「明治政府の手に負えぬ事業が出てきたとき、そのつど武揚がプロジェクトの現場と実務の責任者を引き受けたということである。」(p.526)

戊辰戦争後の武揚の事跡については、一ページほどの記述があるにすぎないが、近代国家としての明治の日本がなりたっていくために、なくてはならない人物であったことが理解される。

このような人物について、その若い時……戊辰戦争のとき、武揚は三十二才であった……のことで、この小説は終わらせている。もし、その後の武揚の活動を描写していくならば、そのまま、明治の日本の近代化の歴史に重なるものとして描かれることになるであろう。

以上の三点ぐらいが、『武揚伝 決定版』を読んで思ったことなどである。

中央公論新社が、このときにこの本を出したというのは、明治150年ということで、それに関連する本をということなのかもしれない。が、そのようなこととがあるとしても、150年前の明治維新を考えるとき、戊辰戦争で負けた側、幕府側に、武揚のような人間がいたということは、興味深い。えてして歴史は勝った側から描かれがちである。この意味において、負けた側の立場からの歴史小説ということで、この作品の価値がある。また、明治維新とは何であったかを、改めて考えるきっかけになる作品であると思う。

「決定版」の後書きを見ると、新しく出てきた史料などによって、かなり榎本武揚の評価は変わってきているらしい。明治維新の歴史も、150年を経て、新たな段階になってきたということである。