『明治天皇』(一)ドナルド・キーン2018-01-20

2018-01-20 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(一)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131351/

以前に新潮社から『明治天皇』(上・下)として出ていたものを、文庫版にして四巻にしたもの。順番に読んでいっている。まずは、第一冊目からである。

第一巻は、明治天皇の生いたちから、明治維新、東京遷都のころまでをあつかっている。読んでみて思ったこととしては、まさにこの本は、書かれるべくして、人を得て書かれた本であるという印象である。いうまでもなく、著者(ドナルド・キーン)は、アメリカでの日本文学研究の第一人者。その著者が、明治天皇という、日本近代の天皇の評伝を書いている。

読んで感じるところは、実に平明で、バランスのとれた、そして、史実にのっとった記述になっているということである。

もとは英語で書かれた本を、日本語に訳してある。だが、その執筆(翻訳)にあたっては、日本で刊行された史料によっている。この本で、引用してある史料については、原文に依拠して記載してある。(英語で書かれたものを、日本語の史料にもとづいて、その箇所をあつかってある、ということである。原文が漢文のものは書き下しで示してその後に現代語訳の説明があるので、一般にわかりやすい記述になっている。つまり、英語を介した日本語にはしていない。)

特殊な史料によっているということはない。基本的に公刊されている史料、記録類によっている。この本の記述は、基本的に『明治天皇紀』にしたがっているとみていいだろう。また、そこに描き出される明治天皇のイメージも、きわだって特殊ということではない。その時代の、その史料によって、自ずから描き出される明治天皇像である。

各章ごとに詳細な注がついている。史料の典拠がしめしてあり、異説・異論のあるものは、その旨が書いてある。

第一巻は、父である孝明天皇のことからはじまる。明治天皇の出生から、明治になって天皇が東京に行くまでのことが書かれている。幕末史であり、主に京都の宮廷から見た明治維新史でもある。それが、ほどよい密度で、典拠とすべき史料に依拠して記述してある。簡略にすぎることもないし、細かすぎて読むのに苦労するということもない。極端に保守的でもないし、また、逆に反体制的という立場でもない。幕末から明治維新にかけての時代背景のもとに、京都の宮廷、明治宮廷がいかに対応してきたか、冷静な筆致で描かれている。基本は、編年式に年代を追って記述してあるが、テーマによっては紀伝式に事柄の筋をたどってある。

読みながら、かなりの付箋をつけてしまったのだが、その中のいくつかを見ておくことにする。二つばかりについていささか。

第一は、五箇条の御誓文である。明治維新になって、新政府の方針を示した指針として、私などの世代であれば、学校の歴史の教科書に載っていたのを覚えた記憶がある。この五箇条の御誓文は、まさに「御誓文」という名がしめしているとおり、神道の形式にのっとっている。

この意味では、明治という新しい時代の幕開けを象徴する史料(出来事)でありながら、その復古的な面(王政復古によって明治政府は誕生した)も、同時に持っていることになる。

ここからはさらに、なぜ「御誓文」という神道による形式で、明治新政府の方針が公にされることになったのか、その歴史的、文化的な意味を考えることが必要になってくるだろう。この『明治天皇』では、そこのところまでの考察はなされていない。だが、神道によっていることの指摘はきちんとしてある。

第二は、歌である。明治天皇は歌人でもあった。その歌について、著者(ドナルド・キーン)は、次のように記している。

「これらの和歌には、詠み手の感情や個性がほとんどうかがわれない、いや皆無と言ってもいい。天皇と皇后は、過去千年間の無数の宮廷歌人とまったく同じ作法で春のおとずれの喜びを歌っている。言い回しや言葉の影像に独創を取り入れようという意図などまったく無い。韻律的に正確なこれらの和歌を詠むことは、伝統的な宮廷文化に精通していることを示すにとどまった。」(p.456)

明治になるまで……極言するならば正岡子規が登場するまで……宮廷和歌とは、このようなものであったし、それでよかったのである。これはこれで、歌の伝統である。むしろ、このような、ある意味でのマンネリは評価されるべき面でもある。

以上の二点ぐらいが、書き留めておきたいと思ったことである。

この第一巻から読み取れる歴史としては、明治維新、王政復古ということは、京都の宮廷から望んだことではなく、幕末の時代、倒幕という時の勢いにのせられて、そうなってしまった、ということらしい。孝明天皇は、攘夷主義者であったし、公武合体の立場であった。それが急死してしまい(その死は謎につつまれているようだが)、幼い明治天皇の時代になって、大政奉還、明治維新ということが起こってしまった、このように、京都の宮廷から見ればなるのだろうか。

御誓文という神道の形式、また、歌に象徴される京都からの伝統文化をひきついだものとして、明治宮廷は、明治維新、文明開化の時代をむかえていくことになる。それは、第二巻以降になるのだろう。楽しみに読むこととしたい。

追記 2018-01-22
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月22日
『明治天皇』(二)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774280