『わろてんか』あれこれ「笑いの新時代」2018-01-21

2018-01-21 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第16週「笑いの新時代」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/16.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月14日
『わろてんか』あれこれ「泣いたらあかん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/14/8769327

このドラマ、実在の人物のモデルがあるせいだろうか、大きく話しの筋がぶれることがない。着実に、ヒロイン(てん)の人生をたどっている。

だが、その一方で、掘り下げがたりないとも感じさせる。

この週では、子供(隼也)のことが出てきていた。どうせ家業(席亭)を継ぐことになるのだからと、勉強する気をなくしてしまうのだが、また気がかわって、大学に行くように勉強するという。このあたりの、親子の感情の機微というのが、もうちょっと深く描いてあると面白くなるのだが、ストーリーはどんどん先に行ってしまっている。この時代、昭和初期の不況の頃だから、「大学は出たけれど……」と言われた時代ではなかったか。であるならば、勉強して大学に行ってとはそう安易に言えることではないように思える。

メインの事件はラジオ。ラジオという新しいメディアの出現によって、寄席の客が奪われるのではないかと心配する風太。それに対して、ラジオ出演を奇策をもってなしとげて、その結果として、風鳥亭にも客を呼び寄せることに成功した団吾師匠。

たしかに、寄席の数ということだけを見てみるならば、数は減少することになる。今では、数えるほどしかない。しかし、これは今日では映画も同じ。最盛期にくらべれば、かなり減っているはず。

メディアの変遷と、大衆娯楽のあり方、これは、いつの時代にもついてまわることである。今回は、ラジオとの競合から、それをきっかけとしての寄席の繁盛というところにもっていった。

しかし、長い目で見るならば、寄席は衰退傾向にあったと思う。昭和の初期であるならば、ライバルは、活動写真・映画になるのかもしれない。この意味では、伊能栞が、藤吉とてんのライバルとして登場してきてもおかしくはないのだが、そのような展開にはならないようだ。

次週は漫才が話題になるらしい。漫才という芸能も、近代になって、また、ラジオや、さらには、テレビというメディアによって、大きく変わってきたものであるはず。このあたりをどのように描くか、楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-01-28
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月28日
『わろてんか』あれこれ「ずっと、わろてんか」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/28/8777877