『わろてんか』あれこれ「ずっと、わろてんか」 ― 2018-01-28
2018-01-28 當山日出夫(とうやまひでお)
『わろてんか』第17週「ずっと、わろてんか」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/17.html
前回は、
やまもも書斎記 2018年1月21日
『わろてんか』あれこれ「笑いの新時代」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773529
藤吉が死んでしまった。これは、実話をなぞっているのだから、やむを得ないことなのだろう。藤吉のなきあと、女性実業家として、笑いの世界で生きていくてんのすがたを、次週から描くことになると思って見ていた。
ところで、この週で、漫才が新しくなった。キースとアサリのコンビで、新時代の「しゃべくり漫才」を始めることになった。
ここで思うことをいささか。ちょっと辛口に書いてみる。
第一に、そのしゃべくり漫才が、見ていて、全然面白くない。このドラマのこれまでの芸能のシーンでは、落語は面白かった。「時うどん」「崇徳院」など、見ていて思わずその芸の世界に引き込まれていくような印象があった。
これは、落語という芸がすでにあって、それをなぞって役者が演じているから、自ずからそうなっていることになる。
しかし、しゃべくり漫才にには手本がない。いや、あるのかもしれないが、落語の芸のような確固たる形で残っていない。今の時代に、また、かつて活躍していた芸人の漫才を参考にしてということになるのだろうが、これが、どう見てもうまくいっていない。
第二に、藤吉の母(啄子)が、アメリカに行っていたのが帰ってきた。ここで、アメリカの新しい世界、外国での芸能のことが、藤吉たちのビジネスに影響を与えることになるかと思っていたが、そういうことはなかった。ただ、サプライズで帰ってきて、また、すぐにアメリカに戻ってしまった。
また、映画が、トーキー……つまり音の出る映画……になって、それが、大衆芸能の世界にどのような影響を与えることになったのか、このあたりも、ほとんど描くことがなかった。せっかく伊能栞という映画ビジネスの世界にいる人間を登場させているのだから、映画をふくめて大衆芸能の世界を俯瞰するようなことがあってもいいのではないか。
以上の二点が、この週を見て思ったことなどである。
さらに書けば、時代は、昭和の初めごろである。つまり、不況のどん底の時代であったはず。歴史的には、満州事変、五・一五事件などの直前の時代である。この時代の世相というものを、このドラマは描いていない。また、アメリカに行った啄子も、いずれは強制収容所に入れられることになるのかと思う。これはどうなるだろうか。
社会的背景、世相と、大衆芸能とは、密接にかかわっているとおもうのだが、このところが、描き方が浅いという印象をうける。
ともあれ、次週からは、てんが北村笑店を担っていく展開になるようだ。時代も、戦争の時代になっていくことになる。どのようになるか、楽しみに見ることにしよう。
追記 2018-02-04
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月4日
『わろてんか』あれこれ「女興行師てん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/04/8781948
『わろてんか』第17週「ずっと、わろてんか」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/17.html
前回は、
やまもも書斎記 2018年1月21日
『わろてんか』あれこれ「笑いの新時代」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773529
藤吉が死んでしまった。これは、実話をなぞっているのだから、やむを得ないことなのだろう。藤吉のなきあと、女性実業家として、笑いの世界で生きていくてんのすがたを、次週から描くことになると思って見ていた。
ところで、この週で、漫才が新しくなった。キースとアサリのコンビで、新時代の「しゃべくり漫才」を始めることになった。
ここで思うことをいささか。ちょっと辛口に書いてみる。
第一に、そのしゃべくり漫才が、見ていて、全然面白くない。このドラマのこれまでの芸能のシーンでは、落語は面白かった。「時うどん」「崇徳院」など、見ていて思わずその芸の世界に引き込まれていくような印象があった。
これは、落語という芸がすでにあって、それをなぞって役者が演じているから、自ずからそうなっていることになる。
しかし、しゃべくり漫才にには手本がない。いや、あるのかもしれないが、落語の芸のような確固たる形で残っていない。今の時代に、また、かつて活躍していた芸人の漫才を参考にしてということになるのだろうが、これが、どう見てもうまくいっていない。
第二に、藤吉の母(啄子)が、アメリカに行っていたのが帰ってきた。ここで、アメリカの新しい世界、外国での芸能のことが、藤吉たちのビジネスに影響を与えることになるかと思っていたが、そういうことはなかった。ただ、サプライズで帰ってきて、また、すぐにアメリカに戻ってしまった。
また、映画が、トーキー……つまり音の出る映画……になって、それが、大衆芸能の世界にどのような影響を与えることになったのか、このあたりも、ほとんど描くことがなかった。せっかく伊能栞という映画ビジネスの世界にいる人間を登場させているのだから、映画をふくめて大衆芸能の世界を俯瞰するようなことがあってもいいのではないか。
以上の二点が、この週を見て思ったことなどである。
さらに書けば、時代は、昭和の初めごろである。つまり、不況のどん底の時代であったはず。歴史的には、満州事変、五・一五事件などの直前の時代である。この時代の世相というものを、このドラマは描いていない。また、アメリカに行った啄子も、いずれは強制収容所に入れられることになるのかと思う。これはどうなるだろうか。
社会的背景、世相と、大衆芸能とは、密接にかかわっているとおもうのだが、このところが、描き方が浅いという印象をうける。
ともあれ、次週からは、てんが北村笑店を担っていく展開になるようだ。時代も、戦争の時代になっていくことになる。どのようになるか、楽しみに見ることにしよう。
追記 2018-02-04
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月4日
『わろてんか』あれこれ「女興行師てん」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/04/8781948
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