『西郷どん』あれこれ「新しき藩主」2018-01-30

2018-01-30 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年1月28日、第4回「新しき藩主」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/04/

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月23日
『西郷どん』あれこれ「子どもは国の宝」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/23/8774998

この回は、島津斉彬と父・斉興との「ロシアンルーレット」できまりである。

中園ミホの脚本なのだが、見てみると、NHKでは、『花子とアン』(今、BSで再放送している)の他にも、『トットてれび』の脚本を書いている。この週の展開は、もし幕末にテレビがあったなら……どういう経緯で、新藩主・斉彬が決まったのか、『トットてれび』風に描いてみた、という印象である。

史実がどうであったは、この際、もうどうでもいい。父と子の対立があって、それを乗り越えて、斉彬が新藩主になるプロセスを、ダイナミックに大胆に描き出すことに意味がある。

気になることとしては、この父と子の対立は、何に起因しているのか。ただ、由羅という女性をめぐるお家騒動ということだけではないだろう。幕末の薩摩藩の運営にかんする方針の対立ということがあってのことにちがいない。このあたり、ドラマの「本編」の方で描かずに、終わってからの「紀行」の方で説明してあった。

これはこれで、ひとつの方針だろうとは思うのだが、どうだろうか。かつてこのような方式でドラマをすすめた事例としては、『花燃ゆ』があった。はっきりいってこのドラマは、あまり出来がよくなかった。

「本編」のドラマとしての面白さの中に、歴史的背景、経緯をたくみに織り込んでいく……たとえば、近年の例では『真田丸』がそうだったと思うが……このようにドラマが進んでいってほしいものである。西郷隆盛というのは、それで十分に魅力的な人物であると思うので、その劇的な人生の中に、歴史を描くことも可能だろう。いや、そうでなければ、西郷隆盛の偉大さというのは、伝わらないのではないか。

ところで、気になったこと。西郷隆盛(吉之助)の上申書を、島津斉彬は克明に読んでいたという設定であった。はたして、このあたりの史実はどうなのだろう。ロシアンルーレットはドラマとして見ておけばいいのであるが、西郷隆盛の書簡については、かなり史料が残っているはずだから、歴史考証としてどうなのだろうかと思って見ていた。どのようなことをきっかけにして、西郷隆盛と島津斉彬が出会うことになるのか、このところの経緯は、ドラマとして重要な意味をもってくるところである。

次回は相撲らしい。楽しみに見ることにしよう。次回、於一(篤姫)が登場するらしいのだが、はたして、この島津の姫も、薩摩ことばなのであろうか。ちょっとこのあたり期待して見ることにする。

追記 2018-02-06
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月6日
『西郷どん』あれこれ「相撲じゃ!相撲じゃ!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/06/8783124