『明治天皇』(四)ドナルド・キーン2018-02-17

2018-02-17 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(四)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131354/

続きである。
やまもも書斎記 2018年2月3日
『明治天皇』(三)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/03/8781281

この第四巻は、歴史としては、日露戦争から明治天皇の崩御にいたるまでの、明治のおわりの時期のことになる。

読んで印象にのこったことは次の二点だろうか。

第一は、日露戦争。この本は、冷静に日露戦争のことを描いている。読んでみての印象としては、結局、朝鮮半島から満洲にいたる地域の権益をめぐっては、日本とロシアとは戦わざるをえなかったというふうに描いてあると読める。今日の観点からは、日露戦争は、侵略戦争という位置づけができるのかもしれないが、本書では、そのような立場をとってはいない。

そして、世界の歴史のなかで日露戦争を見る視点を忘れてはいない。なぜ、イギリスが日本と同盟することになったのか。また、なぜ、アメリカが和平の仲介に乗り出すことになったのか。このあたりの国際情勢が冷静な筆致で語られる。

第二は、安重根の伊藤博文暗殺事件と、幸徳秋水の大逆事件である。どちらも、明治国家にとっては重大事件である。が、記述のなかで印象に残ることとしては、安重根も、幸徳秋水も、ともに、明治天皇には畏敬の念をもっていた、という指摘である。

明治政府、日本国家に対しては、たしかに反逆したということになる。だが、明治天皇という人(といっていいだろうが)、に対しては、好意的な立場であったことが、二つの事件の記述の中に見える。これは、意外な指摘であるという印象であり、また、明治天皇という一人の近代国家の君主が、その当時の人びとにとって、きわめて魅力的な存在であったということでもある。

以上の二点が、四冊目を読んで、強く印象に残ることである。

明治という時代、近代国家としての日本の成立、このような歴史的背景とは別に、一人の君主としての明治天皇という存在がある。明治天皇を抜きにしては、明治という時代、明治維新という歴史的出来事を語ることはできない。しかし、その一方で、明治天皇という一人の君主は、抜きん出て人を魅了するところがある。明治大帝といわれるゆえんであろう。

別の角度からみれば、たまたま明治維新がおこったときに天皇の地位にいただけのことであったのかもしれない。だが、そうであるにしても、その後、45年間にわたって、「明治」という時代を背負ってきたという歴史的事実の重みがある。これもたまたま明治という年号がつづいた(一世一元)というだけのことかもしれない。だが、そう思って見ても、「明治」という時代ととにあった明治天皇の偉大さというものが、減ずるものでもない。

日本の近代において、明治維新の後、明治天皇という偉大な君主のもとに日本の近代化がすすめられてきた。むろん、それに併行して、社会のひずみや犠牲という面もあったにはちがない。だが、そのようなことをふまえてもなお、明治天皇の残した足跡は偉大であるといわざるをえない。

ドナルド・キーンの『明治天皇』は、特に、新出の史料によって斬新な歴史観を打ち出したという本ではない。多くは既存、既刊の史料、文献によっている。その量は膨大である。その資料をもとに、明治という時代と、明治天皇という君主の一代を描いた本書は、明治150年をむかえた、今日においてこそ、さらに読まれるべき本だと思う。

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