『やちまた』足立巻一(その三)2018-03-23

2018-03-23 當山日出夫(とうやまひでお)

やちまた下

続きである。
やまもも書斎記 2018年3月22日
『やちまた』足立巻一(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/22/8808475

足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html

現代という時代において、国語学、日本語学、日本文学などを勉強するとき、考えておくべきこととして、その歴史がある。学問史というほど大げさなものではないが、大まかな流れはつかんでおく必要があるだろう。

これには、二つの側面がある。

第一には、江戸時代に起こった国学という学問の系譜をひくものとしての、国語学、国文学である。契沖や本居宣長などの国学者の古典研究の延長に、現代の日本語の研究、日本文学の研究があるとする考え方である。今でも、源氏物語を読むには、本居宣長ぐらいまでは遡って考える必要があるし、万葉集では契沖の解釈が重要な意味をもっている。古事記を読むとき、古事記伝をかかすことはできない。

第二に、明治になって、近代的な国民国家としての日本が作られていくなかで、主に西欧からの文献学をもとにして、日本の古典籍、歴史史料を研究するという学問がおこってきた、ということがある。近代的な、国語学、国文学の成立である。この過程のなかで、各種の古典文学作品……万葉集、古今集、源氏物語、平家物語など……の、文学史的位置づけがなされることになった。また、言語研究では、西欧の言語学の方法論による日本語研究が行われるということがある。

主に、この二つの側面がある。そして、近年では、特に後者の面をとりあげて論じられることが多くなっているようである。いわく……近代になってからの国文学の発明、とでもいうことができようか。また、このとき、どちらかといえば、このような学問のもつ否定的な側面をとりあげることも多い。近代になって日本が、もともと日本語をつかっていなかった地域を日本の「領土」としていって、そのような「外地」「植民地」を背景としての、「国語学」「国文学」という性格を、批判的なまなざしでとりあげることになる。

『やちまた』(足立巻一)が出たのは、1974年である。ちょうど私が大学生になって国文学を学び始めたころである。この時期、上述したような、近代の学知としての国語学、国文学批判とでいうような動きはなかった。それが顕著になるのは、さらに10~20年ほどの時間が必要である。つまり、国語学、国文学という学問の存在が、自明のものであるとして、今日のように批判的な視点で見られるようになる前のことである。

『やちまた』(足立巻一)の描いている学生生活は、戦前、支那事変当時の伊勢の神宮皇學館である。現在の価値基準からするならば、国粋主義の権化のような学習環境といってもいいのかもしれない。

そのせいであろう、『やちまた』(足立巻一)を読むと、少なくとも、日本語の古典、日本語の文法の研究ということへの、学問的関心はあっても、「日本語」が「国語」であることへの、批判的な視点は感じられない。

だが、一方で、著者(足立巻一)は、修学旅行に行っている。行き先は、大陸……朝鮮半島から満洲……である。神宮皇學館に学ぶ学生である著者も、「外地」に出てみて、次のような歌に感慨を託している。(上巻 p.316)

屋根低き鮮人部落に日の丸がひるがへりゐるはただにうべなはれず

このような感覚が、おそらくその当時にあって、国語学、国文学を学ぶ学生の一般的な感覚であったのではなかろうか。特に、自分が学んでいる学問への批判的視点をもっているというわけではないが、しかし、実際に日本をはなれて「外地」に行ってみると、なにがしかの違和感を感じることになる。その率直に感じたところを、歌に詠んでいる。

『やちまた』(足立巻一)が出てから後、国語学という学問は、厳しく批判にさらされた。その動きも、ここしばらくは、おさまってきたかと感じられる。それを経過した目で、再度、『やちまた』を読み返してみることになった。

ここで感じることは、この本は、今こそ再度読まれるべき本である、ということである。江戸時代の国学からの連続上にある国語学、国文学という学問がどのように勉強されてきたか、それを学ぶ学生が、どのように時代の中で生きてきたのか、きわめて素直な感性のもとに記されていると感じるからである。

近代になってからの国語学、国文学という学問の成立について、その持っている負の側面についても十分に承知したうえで、なお、かつての国学の伝統からくみ取るべきものがあると感じられる。現代の日本の古典研究が、国学の流れの中にあること、少なくとも、そのような一面を保ち続けていることは、忘れてはならないことであると思うのである。

また、これは、先に書いた、『本居宣長』(小林秀雄)が、今にあっても、現代の古典として読まれていることに通じるところでもある。近年の近代学知批判の目を経ても、それでもなおかつ魅力のある作品・評論・評伝として、読むことができる。

やまもも書斎記 2018年3月15日
『本居宣長』小林秀雄
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/15/8803701

やまもも書斎記 2018年3月16日
『本居宣長』小林秀雄(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/16/8804393

「古典」に向き合う、あるいは、「ことば」に向き合う、人間としての普遍性を、そこに見いだすことができるからであると考える次第である。

コメント

_ 土屋信一 ― 2019-03-23 10時24分12秒

私が大学に入ったのは、1952年。学園紛争の起きる以前だった。1年時には理学部向けの一般教養科目「国語学概論」で佐伯梅とも先生から「古代国語の音韻について」を教わり、2年時に馬淵和夫先生の「今昔物語集」の演習、3年時は佐伯先生の「万葉集」の演習で人麻呂の短歌を読み解かされた。国学の何たるかは知らなかったが、徹底的に読み解くことの必要性を習った。それで良かったのだと思う。契沖ってすごいという印象だけ残っている。

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