『西郷どん』における方言(四)2018-03-29

2018-03-29 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年3月8日
『西郷どん』における方言(三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799659

2018年3月25日放送の第12回で、篤姫は大奥にはいることになった。その経緯と、篤姫のことばが興味深い。

以前、鹿児島にいたとき、於一(篤姫)は、薩摩ことばであった。また、江戸の薩摩藩邸に来てからも、そのことばのままであった。それが、幾島の登場によって、無理に矯正させられることになった。薩摩ことばのままでは、公方様の御台所にはふさわしくないということなのである。

その幾島のことばは、上級の武家ことばに、すこし京都風のところがまじっていることばとして設定してあった。

だが、その篤姫も、本格的に将軍家との婚儀が決まり、大奥にはいる決意をかためたところで、薩摩ことばがすっかり消えていた。標準的といっていいだろうか、上級武家の女性ことばになっていた。これは、ドラマの設定としては、幾島の教育の効果ということになるのだろう。

大奥にはいる決意をした篤姫を安政の大地震がおそう。そこを、からくも西郷が助ける、というシーン。ここで、篤姫は、ついホンネのもらしてしまう。このまま西郷につれられてどこかに逃げてしまいたい、と。この時、篤姫は、薩摩ことばをつかっていた。

島津の姫、大奥にとつぐ身としては、タテマエでは武家ことばをつかっていながら、その本心を語るところでは、薩摩ことばになる。このあたり、ドラマのことばの演出としてはうまいと思う。

このドラマ、薩摩という地域のパトリオティズム(愛郷心)、あるいは、リージョナリズム(郷土主義)の物語でもあると思って見ている。この意味では、江戸に来て何年かたつであろう西郷が、いまだに薩摩ことばなのは、それを意図しての演出であるのであろう。あくまでも、薩摩の地とともにある西郷という設定になっていると思ってみている。(たぶん、最後は、西南戦争の後、城山でおわることになるのだろうが。)

また、大久保も薩摩ことばであった。その書簡の場面。書き言葉としては、書簡用の文書語であったはずだが、それを語る大久保の声は、薩摩ことばであった。大久保もまだ、この時点では、薩摩という地にある人間という設定になるのだろう。大久保もまた、明治維新を経て中央の政治で活躍することになる。その時になっても、まだ、大久保は薩摩ことばを話すことになるのだろうか。この大久保のことばが、これからどのように描かれることになるのかも、気になるとこころである。

薩摩、鹿児島という地域に対する、パトリオティズム、リージョナリズムを表現するものとしての薩摩ことばであろう。今後、幕末から明治維新の動乱、新政府の樹立というなかで、登場人物がどのようなことばを話すことになるのか、見ていきたいと思う。

追記 2018-05-24
この続きは、
やまもも書斎記 2018年5月24日
『西郷どん』における方言(五)