『わろてんか』あれこれ「みんなでわろてんか」2018-04-01

2018-04-01 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』最終週「みんなでわろてんか」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/26.html

最後は新喜劇だった。ということは、このドラマ全体が、ふりかえってみれば新喜劇であったということを意味しているのだろう。

それが面白かったかどうか……となると、ちょっと微妙。前半、駆け落ちした二人が寄席を始めて、寺ギンとはりあって、大阪で席亭をひろげていく、このあたりまでは面白かったと思うのだが、それからが、どうも今ひとつ面白くなかった。

一つには、このドラマが、基本的にその当時の世相とか社会的背景とかを描かずにきたということにあるのだと思う。大正時代ならではの、いわゆる大正デモクラシーもなかった。また、昭和にはいってからも、不況も、エログロナンセンスもなかった。それでありながら、戦争になって、突然、戦争中のいろんなできごとが登場してきた。ちょっとちぐはぐな感じがしたのである。

それぞれの時代において、芸人というちょっと社会からはずれたところにある、だが、日常の生活の延長にある娯楽としての笑い、そのなかに生きる芸人というものを、じっくりと描くことがあってもよかったのではないか。

ところで、このドラマの始まるときに、次のようなことを書いたのであった。

やまもも書斎記 2017年10月8日
『わろてんか』あれこれ「わろたらアカン」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/10/08/8697997

ここで考えてみたこと……ことごとく裏切ってこのドラマは進行していた。社会の風刺もない、芸能の世界に生きる人間への差別ということもない……今の、テレビを中心とする芸能界だって、こんなにきれいなことはないと思うのだが。しかし、そこは、わりきらないと、朝ドラとして「笑い」をあつかったドラマにはならなかったということなのかもしれない。

このドラマで印象にのこっているのは、落語家の団真、団吾、それから、お夕をめぐる一連のできごと。ここには、芸の世界に生きる人間の哀切が、しみじみと描かれていた。ここをもうちょっとひろげて、明治から大正ぐらいの時代に生きた芸人の喜怒哀楽を描くドラマにしてもよかったのではないだろうか。

まあ、ともあれ、半年のドラマが終わった。これはこれで面白かった。次作の『半分、青い。』がどんなドラマになるか、楽しみに見ることにしよう。